投稿日:2024年02月19日

【札幌 弁護士コラム】学年なければ、課題は置き去り

こんにちは、荒木でございます。

実は、今回が今年に入って初めてのブログだったりします(汗)。

昨年、秋ごろ以来、盆と正月とクリスマスとハロウィンがいっぺんに来たくらい(笑)、結構立て込んでおりましたが、ようやく平常運転に戻りつつあるところです。

 

さて、世の受験生さんは受験シーズンとなり、新年度に向けた準備が着々と進んでいるように見受けられます。

一方、受験生でない学生さんはといえば、(よほどのことがなければ)4月からは1つ学年が重なることになります。

 

それでもって、社会人は、というとどうでしょうか。

社会人1年目の人が社会人2年目になる、社会人2年目の人が社会人3年目になる、社会人10年目の人が社会人11年目になる、といった現象は起こりますが、(転勤なんかはあるにしても)クラス替えがあるわけでもなければ、名札に「○年生」と書かれるわけではありません。

かく言う私も、12月で弁護士14年目から弁護士15年目にランクアップ(?)しましたが、特に何か変化があるわけではありません。

 

これが何を言わんとしているかというと、社会人になってしまえばいつの間にか外部的な時間の物差しがなくなる、ということ。

だからこそ、「これをやろう。」と決めたことの期限があいまいになり、先送りされ、しまいには意思決定が行方不明になってしまいます。

これこそがいつまで経っても成果が上がらず、漫然と時間だけが徒過してしまう元凶なのではないでしょうか。

 

そして、この裏側にある原理が「解決されなかった課題はいつまでも後をついてくる。」というもの。

これは学年が区切られていればある程度明確にされるところが、学年が区切られなくなると意識があいまいになってくるところです。

例えば、九九は小学校2年生で習うべきものですが(ですよね?笑)、これが3年生になっても、4年生になっても覚えられないというのでは問題だ、ということになります。

しかし、一旦社会人になってしまえば、課題とそれを解決すべき期限というは明確に示されなくなってきます。

電話応対や名刺の渡し方などであれば、さすがに社会人1年目でマスターすべきものなのでしょうが、これが「ビジネスレベルでの英会話」であったり、「見込み顧客の成約率を3割にする手法」といった抽象度が上がってくるものになると、ゴールがわからなくなってくるものです。

 

これによって起こるのが、「課題の放置」という現象です。

そして「課題を放置」するとどうなるかというと、課題は放置されたままになるわけです。

課題を置いておいたらいつの間にかバクテリアが分解してなかったことにしてくれるものでもなければ、親切な通りすがりの誰かが解決して渡してくれるものでもありません。

ただ、課題はそこにあり続けるだけです。

 

だからこそ、課題には正対して解決する姿勢が必要ですし、課題を解決する期限を設けなければ解決に向けて動き出すこともありません。

年度末に向けて、在庫の棚卸も必要でしょうが、課題の棚卸を行い、解決に向けた目鼻を付けることも非常に重要なことではないでしょうか。