こんにちは、荒木でございます。
東京での開業記念パーティーが終わり、札幌に戻っているところです。
パーティーには約80名の方がご参集頂き、大変な盛況となりました。
お越し頂いた方には心より御礼申し上げます。
さて、今回のパーティーについては、比較的ビジネス色が強く、私(荒木)かパートナー弁護士が仕事上で関わってきた方を多くお招きしました。
私(荒木)の場合ですと、私(荒木)が社外役員を務めている2社の関係者、勉強会仲間、つながりのある会計士、税理士の方、パートナー弁護士ですとこれまでのキャリアの中で関わってきた金融関係の方、支援先の方、弁護士等といった具合です。
私(荒木)とパートナー弁護士は同じ穴の貉(むじな)でしたが、いざ集まってみるとコア層がなかなかに異なることに気づかされます。
そして、そのように集まってみると、実際に過去にそれぞれのクラスターの中で仕事をしてきたことが目に見えるようになります。
受付スタッフに言わせても、この方は荒木の呼んだ方、これはパートナー弁護士が呼んだ方、と途中からわかったといいます。
「類は友を呼ぶ」ではありませんが、どこかクラスターの中で均質性が生まれ、それが時間を経ることでコンフォートゾーンになってくるのでしょう。
このため、知らず知らずのうちに、仕事はすべて同質性の高い人とやるものになってくるのは必然のことかもしれません。
もちろん、帰属するクラスターが健全な成長を遂げ、自らもクラスターの中で違和感のない存在としていられるのであれば、安定的な業務を行うことができるのでしょう。
しかし、クラスターが行き詰っており、又は向かう方向性を誤っている場合、それに従って仕事をするのであれば、安定的な未来は待ち受けていないということになります。
そうやって考えてみると、いい仕事ができるかどうかはクラスター次第。
ある意味で初期設定としてどこのクラスターに属するかで勝負が決まってしまうことになります。
もちろん、仕事をしていく中で、「どうもうまくいかないなー。」とか、「これだけやってて
何で儲からないんだろうなー。」といった感覚を持つようになり、クラスターの変更が必要と感じる場面もないでもないでしょう。
しかし、特定のクラスターに属していることが所与の条件と思ってしまい、何の疑問も感じないという人が普通なのかもしません。
弁護士で言えば、単位会といわれる各地の弁護士会に所属しなければならず、これまでに培われてきた弁護士会の常識に従って仕事をする姿が普通であるといえます。
特定のクラスターに属するということは、安定が図れるという反面、そのクラスターが持っているポテンシャルに限界が規定されてしまうということを意味します。
「もっといろいろなことできるはずだ。」「もっと大きなビジネスになるに違いない。」と思っていてもクラスターの論理から抜けなければ、事業にも限界が生じてくるでしょう。
そこで大事になってくるのが「異業種交流」。
もっと言えば、「異クラスター交流」。
ただし、単に業種が違うからといって業務の規模や地域や対象が近ければ、「異クラスター」とはいえない場合もあると考えられますし、根本的に発想や行動に変化変容を与えるような結果を生み出さなければ特定のクラスターからは離脱できません。
そして、違うクラスターに触れ合うことで、自らを比較相対することができ、これまでの行動が客観視され、そこに気づきが生じることになるでしょう。
だからこそ、自分のクラスターとは遠いところにいる人との交流が重要になります。
そんなわけで、今回の開業記念パーティーでは、少なくとも私(荒木)とパートナー弁護士の2つ源流からの人が来られているわけで、「異クラスター」の交流となったことは間違いありません。
その中でご縁が結ばれ、実際にビジネスおけるシナジーが発生したようであれば、これに勝る喜びはありません。