投稿日:2023年05月03日

【札幌 弁護士コラム】失注に痛みを感じない漢

こんばんは、荒木でございます。

 

世間はGWということで天気も良く行楽日和ですね。

 

ということですが、それとは全く関係なく(笑)、最近少々思っていることがあるので少しまとめてみました。

 

それというのが「失注について」というお話。

 

経営者の方や営業の責任者でなければ「失注」というものについてあまり考えたこともないかも知れませんが、中小企業にとってはまさに生殺与奪を握らないとも限らない、重要な事象です。

当たり前の話ですが、営業が取れなければ売上げが立たず、売上げが立たなければ経費が払えず、経費が払えなければ会社は倒産します。

その営業が取れない中でも「失注」というのは、ある程度は行けそうだったけれども、結局は案件を取れなかったという痛い事象ということです。

 

そんな失注ですが、もちろん私(荒木)も何度も経験があります。

見積りを出しただけならともかく、何度も相談を乗ったり、場合によっては出張してアドバイスを行ったにもかかわらず「あ、やっぱりいいです。」といった一言で片づけられたことも一度や二度ではありません(グスン)。

やっぱり失注するようなことがあればヘコむのが当たり前です。

 

でも、最近の私(荒木)は失注についてほぼショックを感じなくなってきました。

それというのが受発注の関係性についての考え方が変わってきたからです。

 

突然ですが、みなさんはラーメン屋に並んだことはありますか?

 

…全員とは言いませんが、店の外で少しでも待つことを含めると世の中の半分以上の方は経験があるんではないでしょうか。

しかし、考えてみるとラーメンを食べるのに並ぶとはどういうことか。

あまり考えたことがないかも知れませんが、解釈すると次のようになるのではないでしょうか。

 

まず、ラーメン屋に並ぶ前提としてラーメン屋がラーメンを提供していないことには始まりません。

さらにその前提としてはラーメン屋のオーナーが自ら又は従業員の生活のためにラーメン屋を経営して利益を上げようと考えなければラーメン屋を作らなかったことでしょう。

そうだとすると、ラーメンの販売価格には原価や一般管理費を差し引いて利益が残る構造になっているはずです。

うがった見方をすると、ラーメン屋のオーナーは得をして、客は損をする構造があるということが基本です。

 

その関係性だけであれば、ラーメン屋にはラーメンを売るしかない(サイドメニューくらいはあるかもしれませんが。)のに対し、客には他のラーメン屋を選ぶ権利があります。

そして、近隣に競合店のラーメン屋がないエリアというのは少数派なのでしょう(過疎地域まで含めると何とも言えませんが、一応都市部を前提としていただくことで。)。

ですので、この時点で立場的に優位に立つのは客のほう。

 

一方、ラーメン屋に人気が出てきて、飽和状態になってくるのであれば、ラーメン屋が客を選ぶ(具体的には価格、営業時間の設定等)ことができるようになってくるわけです。

そうなって行列が絶えない店にまでなると、

 

「いくら待ってでも食べたい!」

「いくら出してでも食べたい!」

「いくら遠いところでも食べに行きたい!」

 

といった現象に至ります。

こうなると当初の立場が全く逆転し、ラーメン屋が立場的に優位に立っていることになるでしょう。

 

…と、ここまで例え話をしてきましたが、このようなことはすべての業種にあてはまること。

 

平たく言えば、需給バランスで優位に立っている立場であれば、個別的に取引相手に特別に思いを致す義務はなく、1件1件の成否については気にする必要がないということです。

先ほどの例で言えば、客が優位な立場であれば1軒のラーメン屋が閉まっていても他の店に行けばいいということですし、店が優位な立場であれば列の途中の1人が帰ってしまっても次に客が並んでいるので全く構わない、ということです。

 

そうやって考えると、弁護士業のような役務提供をする場合であっても、(ぼったくり価格や異常な低料金でない限り)基本的には提供価値と対価としての報酬は均衡しているはずであり、それが何らかの要因によって需給バランスが崩れている場合があるだけ、とみることができるはずです。

需給バランスを崩す要因として、弁護士側で有利になる(需要が増える)ものとしては、広告戦略、紹介、案件実績などが挙げられるでしょうし、依頼者側で有利になる(供給が増える)ものとしては、弁護士の検索サイトの存在、案件の簡易性、弁護士の知り合いが多い状況等が挙げられるでしょう。

そしてその需給バランスを崩す要因さえコントロールできれば、1件の案件の受発注が成立するかどうかは些末な問題に過ぎなくなります。

 

失注そのものをミクロで見ると、失望感、敗北感、落胆といったネガティブな感情に支配されてしまいそうなりますが、ただそれだけのことだと見てみると、1件1件を気にしなくて済むようになります。

ただし、一方で、失注までにどれだけの見込み顧客層を積み立ててきたかが問題となることに気づくのであり、それが十分に積み立てられているのであれば動じないことになりますし、不十分であれば積み立てを行う努力が足りなかったことを反省しなければならないことでしょう。

 

私(荒木)も、独立して最初のころは大型案件を失注すると「この世の終わりだーorz」くらいの勢いで考えたこともありましたが、大変ありがたいことに、最近では○百万円規模の案件を失注しても「あっそ( ゚σω゚)ハナホジー」くらいのテンションで受け止められるようになってきました。

先ほどの例で言えば、列に並んでいるお客さんが10人帰ってもその後ろに10人以上が並んでいるので、「別にいいか」となるわけです。

 

これには本当に後ろに並んで頂いている(?)お客様に感謝×2ということではあるのですが、そのような状況を作れたことにより、

 

「うちを断って他のところに依頼して本当に大丈夫なのかなぁ。」とか、

「金額の問題だとすれば、ここで依頼しないほうが後で高くつくんだけどな。」とか、

「何かもう少し冷静に判断してもらったほうがよかったんじゃないかな。」とか、

「弁護士に頼まないでどうするつもりなのかな。」とか、

 

依頼を頂かなかった方(会社)のことを慮るような気持ちにもなれるようにもなりました。

もちろん、私(荒木)のところに依頼するのがベストだとは限りませんし、依頼しないという判断をされた要因(の一部)が私(荒木)にある場合も否定できませんので、受注できたことも失注したことも含めて「すべては自分の責任」と考えてはいます。

その結果として、多少なりとも次の案件に向かう段階ではカイゼンを積み重ねられていることは間違いないことだと自負しております。

 

依頼を検討される側としても、ハァハァ言いながら依頼を求めてくるような弁護士なんて嫌でしょうし、「依頼してもしなくてもどっちでもいいんですけどねー。でも依頼したほうがいいことありそうですよ。」くらいのテンションの弁護士のほうが依頼しやすいのでしょう。

そういった意味では、徐々にある部分で「力の抜けた」対応ができるようになったんじゃないかと思っています。

 

そんなわけで、現在の私(荒木)のキャパシティには若干の余裕がありますので、ご依頼をご検討頂いている方はお早めにご連絡をどうぞ(笑)。