こんにちは、荒木でございます。
さて、またもや間が空いてしまいました(汗)。
荒木が東京進出した理由についての説明の追加です。
前回は私(荒木)が考えていたことの概要をお話ししました。
今回はそれを深堀していきたいと思います。
前回のブログでは、
「命を燃やす」
という言葉を用いていましたが、仕事をする中では本来的な目的はここに尽きるのではないでしょうか。
もちろん、仕事の定義というのは人それぞれであり、「生活のため」、「やらなきゃならないものである」、「周りが働いているから当たり前だと思う」といったような考え方もあるでしょう。
それを突き詰めていくと、仕事をすることがmust、shouldではなくなったときに、(自主的に)仕事をするかしないか、という議論になってきます。
すなわち、
金のために仕事をするのであれば、仕事をしなくても金が足りるようになったらどうするか、
やらなければならない理由があるとしたら、それがなくなったらどうするか、
周りが働いているからだとしたら、周りが働かなくなったらどうか、
という検証が必要なように思います。
このような検証を経てもなお「働きたい」と思えるのであれば、そこに本当の仕事をする理由があるのかもしれません。
私(荒木)の場合には、わかりやすく言えば「やりがいのある仕事」ということになりますが、そこにはそれなりの前提の思想が存在します。
それというのが「いわゆる弁護士業」をやりたくない、ということなのです。
これだけ書くと「は?」となってしまいそうですし、私(荒木)の所得を分類するとすれば大半が弁護士業としてのものですので、違和感があるのは否定できません。
しかし、いわゆる弁護士業の大半は紛争処理案件となってしまっていますし、一般の方が考える弁護士像というのも紛争処理を行う人だというのが現実。
それをやらなければ何をやるの?といった向きすらあるでしょう。
これに対する私(荒木)の消えない問いというのがあります。
「紛争案件で、依頼者が反対の立場でも同じアドバイスをするのか。」
というものです。
すなわち、例えば債権回収をする側で相談を受けたとするならば、交渉や訴訟の進め方についてアドバイスしたり、仮差押えについての制度の説明をしたりして、一刻でも早く全額を回収することに努めるでしょう。
一方で、債権の支払いを求められている側から相談を受けたならば、前提たる債権の存在を疑わせる事情がないか、少しでも減額や分割を求める交渉ができないかなどをアドバイスするでしょう。
このように立場によってアドバイスが異なることが是か非か、ということで言えば、弁護士の立場からは当然と考えるのだろうと思いますし、私(荒木)もそれでいいと思っています。
ただ、そこで抜け落ちているのではないかというのが、
「その結果として何が残るか。」
という視点ではないかと思うのです。
もちろん、債権回収する側の立場でアドバイスがうまくいけば、債権を回収でき、成功報酬ももらえるでしょう。
反対の立場でも、債権の減額ができたりすれば成功報酬に結び付くかと思います。
しかし、このようなことを10年20年と続けてみて、自らにおいて何が残るかというと、弁護士実務の知識やノウハウは残るのでしょうが、外部に対する成果は何か、と考えたときにはたと立ちすくんでしまうような気がしてなりません。
だからこそ、私(荒木)は、少なくとも経済的な価値の総量が増大すると考えられるM&A業務やIPO業務について特化していこうと考えたわけです。
…というところまで進めましたが、やはりまだまだ続きそうですのでこの後は次回に譲ります(汗)。