こんばんは、荒木でございます。
昨日は1泊での出張から戻り、新事務所の準備、準備書面の作成、所在不明株主の株式買取請求という一風変わった手続の対応などやっていました。
さて、最近、身近に起こっているのが炎上。
私(荒木)自身ではないのですが、私(荒木)とお付き合いのある方が相次いで炎上していたりします。
「炎上(えんじょう)」とは、インターネット上のコメント欄などにおいて、批判や誹謗中傷などを含む投稿が集中することをいう。炎上による損害は、心理的、経済的なものが発生しうる。(Wikipediaより)
定義としては上記とのこと。
みなさんもニュースなどで毎日の日課のように炎上を見ており、最近では「またか」と思うようになっているかも知れません。
ただ、「身近に」というレベルになると少し危機感を覚えるかも知れません。
私(荒木)が最も身近に感じたのが、某オープン前の民泊の公式アカウントでの炎上事案。
私(荒木)も映っている写真が炎上の対象の一部になっているので、当事者意識を持たざるを得ない状況です(汗)。
具体的な内容は避けておきますが、まぁ簡単に言うと、本来的な目的で施設を使っていないのではないか、という批判が事の発端でした。
しかし、法律的な目線で見ると何の問題もない話。
誰かに害悪を及ぼしたり、損害を与えるようなことも皆無の話です。
これが批判する(炎上させる)側の人間にとってみれば、抽象的なレベルにおいて利用者損害を発生させるのではないか、という危機感に言及し、それを膨張させることが仲間(?)を呼ぶことにつながっていきました。
社会心理学の専門家でもないので、正確なことはわかりませんが、明らかに世の中の動きは変わっています。
そこにあるのは、いわば「当事者意識なき勧善懲悪」的なものが大きく横たわっているような気がします。
「当事者意識なき」というのは、「自分が表立って参加したくない、矢面に立ちたくない、という心理。
トーチカに隠れて遠くの敵を撃っているか、ガードを固めて猫パンチを打っているようなイメージです。
それが匿名性がなくなる(=接近戦になって負傷するおそれがある)ということになれば、即座に撤退するという行動原理を持っています。
だからこそ、自分に何の利害もないことに首を突っ込むが、当事者になって何らかの悪影響を受ける可能性が出てくれば、「当事者ではない」として全力で撤退することになります。
こういう意識で動向を見守る群衆を「ヲチ」といいます(とのことです(汗)。)。
もう1つの原理として、「勧善懲悪」すなわち、一般的な倫理観(の一部)を錦の御旗に立て、鬼の首を取ったように批判を行うというものがあります。
自分のことを棚に上げる、くらいのことは当たり前で、少しでも倫理観に抵触するようなことがあれば、それを針小棒大に論うことが行われているわけです。
とまぁ、こうした感覚は世代によっては理解できないことかも知れませんし(私(荒木)もやや世代的に外れてきている感があります。)、ネットやSNSにどれだけ依存して生活しているかにもよるのでしょう。
しかし、少しでもSNSに触れ、情報発信をする立場であれば、炎上をそれこそ「対岸の火事」と考えるのは危険なこと。
交通事故と同じようなもので、「自分は悪くない!」と主張したところで、炎上すると実際の損害は避けられません。
では、どうしたらいいのか?
これは一概に答えの出るものではないでしょう。
ただ、少なくとも何らかの備えをしているのか、具体的には過去においてどんな原因で炎上が発生し、どのように拡散し、どのように鎮静化していったのか、ということを知っておいて損はないはずです。
それこそが「歴史に学ぶ」ということの一環ではないでしょうか。
現代において、ビジネスをしようと思えばネットやSNSによる発信は避けて通れないもの。
そうだとすると炎上リスクは完全にはなくすことはできません。
一方で、発信を全て止めるというわけにもいかないでしょう。
だからこそリスクとどう向き合うべきなのか、暫定的にでも答えを持っておく必要があるのかも知れません。
【東京進出まで あと54日】