投稿日:2023年01月11日

【札幌 弁護士コラム】人生で673万円を節約した私(荒木)が語る教育論

こんばんは、荒木でございます。

 

今日は1日、事務所内で作業。

夜はM&Aアドバイザーの方との会食です。

 

さて、最近、北海道新聞の夕刊のコラムでこんな記事を見つけました。

 

>「学費が月5万円の中学受験で名高いA塾、次に月7万円の東大受験専門のB塾に合計107カ月通い、総額673万円支払いました。A塾、B塾にそれぞれ何カ月ずつ通ったでしょう?」

(中略)

正解はA塾が38カ月、B塾が69カ月。小3の2月から高3の12月までに当たる。これほどの学費を出して通わせる世帯が相当数あるのかと思うと、ため息が出る。

(北海道新聞夕刊版 令和5年1月7日1面より引用)

 

最近は、教育費といえば塾の代金という感じで、教育費が高騰しているとは訊いていましたが、さすがに平均額が総額673万円(!)とは驚きました(もちろん一定の条件を付けた統計ではあると思いますが。)。

かく言う私(荒木)は、高校まで学習塾なるところに通ったことがなく、のうのうとやってきたわけですが。

これまでの人生で673万円を節約したとするのであれば、何だか儲かったような気もしてきます。

 

それにしても、なぜ塾に行かなければならないのでしょうか。

もちろん表面的にはいい大学に行かせたい、いい就職をさせたい、ひいては子供の生活の質を高めたいという親心の表れなのでしょう。

しかし、この背景にはいくつか思考停止している部分があるのではないかと思うのです。

 

1つ目が、目的に到達するための手段の選び方です。

目的がいい大学に行かせることにあるとして、なぜ塾に行かせるのか。

学校で一生懸命勉強してもいい訳ですし、参考書を買って自宅で勉強してもいい訳ですし、今だったらインターネット教材だってたくさんあることでしょう。

選択肢はいろいろとあるとしても、親として塾に行かせるのを選ぶのは、おそらく「周囲がそうしているから」という理由なのではないでしょうか。

そこには、事の要否を判断するに当たって、一種の思考停止があり、社会的に承認された塾に行かせるという手段を盲目的に採っているに過ぎません。

 

2つ目が、学習方法に対する考え方です。

塾にもそれぞれ教え方やカリキュラムに個性があるのでしょうが、基本的にはその塾に行っている生徒であれば同じ学習方法を与えられ、そこで反復練習などをやることが通常でしょう。

しかし、なぜ塾で教えられた学習方法をやらなければならないのか。

そのことについて真面目に考えている人はごく少数でしょう。

塾で与えられた方法でもうまくいくことはあるのでしょうが、本来は「勉強方法を考えるのもまた勉強」ではないかと思うわけです。

それというのも、大学受験のような画一化されたテストであれば出来合いの方法でいいのかもしれませんが、一旦社会に出てしまえば誰も方法を教えてくれません。

そうだとすると、塾で教えられた学習方法を身に付ければいい、とすることもやはり一種の思考停止ではないかと思うわけです。

 

3つ目が、いい大学、いい就職という価値観です。

そもそもですが、子供時代に勉強するのがいい大学に行くためであるとすれば、この時代においてその価値観自体がどうか、ということです。

現代社会はVUCA(ブーカ)の時代にあると言われて久しいですが、今の子供にとって将来何が役に立つかなどを見通すことは非常に困難な時代。

その時代にあって、学歴だけに全振りするのは正しい選択なのか、という疑問が湧いてきます。

もちろん、受験勉強を頑張れる子は、スポーツや文化的なことも頑張れるかも知れませんし、一つのことに打ち込むことを訓練するということにおいて受験勉強が無意味なわけではありません。

しかし、大人になって振り返ったとき、100人が100人、塾で勉強していたことが役立ったと感じるのか、逆に他のことをやっておけば良かった、と感じるのかは分かりません。

その意味において受験勉強に全振りするような時間の使い方をさせるというのは、これも一種の思考停止ではないでしょうか。

 

そんなわけで、教育について何もわかっちゃいない私(荒木)が思いつくままに書いてみました。

教育においてもそうですが、何事においても、時に一度立ち止まって、本当に必要なことが何かを考える習慣は大事なのではないでしょうか。

 

あ、学習塾関係の方、営業妨害するつもりはないので、石を投げたりしないでくださいね(笑)。

 

【東京進出まで あと82日】