投稿日:2023年01月09日

【札幌 弁護士コラム】「何となくいい人」と「何となくイヤな人」

おはようございます、荒木でございます。

 

今日は祝日で事務所を閉めていますが、私(荒木)自身はフルスロットルで仕事です!

 

さて、世の中の人を2つに分けるとすれば、周囲に正の影響を与える人と、不の影響を与える人に分けることができます。

これは何も仕事や行動の成果がどうかということによるものには限られません。

「何となくいい人」、「何となくイヤな人」という雰囲気の問題でもあります。

 

例えば、いつも何かに不満を述べ、それを周囲にまき散らしている人。

最近では誰でもTikTokやYoutubeなどのショート動画が気軽に上げられるようになりましたが、一定数は不満ばかりをまき散らしている人が見受けられます。

会社に対する不満、家族に対する不満、利用した店舗に対する不満、その他社会に対する不満。

そんなものを何の忌憚もなく公共の電波(?)に乗せて発信しているわけです。

そしてそれが一定の再生回数を稼いでいたりします。

 

しかし、これというのは、発信者との間に一定の距離があるから許容できるものの、これが身近な人だったとしたらどうでしょうか。

多分、聞くに堪えないことになるでしょうし、そもそも話を聞くような距離にその人を置くかすら考えてしまうでしょう。

このような人の問題は、周囲の人にとって何ら利益をもたらす言動を行う気がない、ということにあります。

 

一方で、「具体的な理由はないけれど、何となく近づきたくなる人」というのもいます。

ただ穏やかにニコニコしているだけでも人を惹きつけるような人。

そんな人も一定数は存在します。

 

仏教では和顔施(わがんせ)といって、いつもなごやかで穏やかな顔つきで人に接する行為をすること自体が他人への施しになっているという考えがあります。

そのように近づきたくなる雰囲気を出すだけでも、周囲への貢献にあたり、存在する価値を有するというものです。

 

「何となくいい人」でいるのか「何となくイヤな人」になってしまうのか、については要因は様々あるでしょう。

先天的な気質もあるでしょうし、育った環境にもよるでしょうし、たまたま付き合った人がどうだったか、ということにもよるでしょう。

しかし、心持ち一つでも行動は変わるもの。

例えば、発言の言葉尻を必ずポジティブなものにする、という意識を持つだけでも構いません。

形式だけでもポジティブになれば、やがて意識もおのずとポジティブに変わっていくもので、いずれ表情にもそれが表れてきます。

 

「何となくいい人」になるのは、周囲に対してだけではなく、最終的には自分にも返ってくるものです。

今年1年、具体的な数字を追うこともいいと思いますが、このように「何となくいい人」を目指すのも意味の大きいことではないでしょうか。

【東京進出まで あと84日】