投稿日:2023年01月07日

【札幌 弁護士コラム】改めてご縁と自責について考えてみた件

こんばんは、荒木でございます。

 

昨日は朝から顧問先様の業務対応、ロータリークラブ例会、理事会からの大阪出張。

大阪では昨年ご縁を頂いたイベント関係の会社の社長さん、大学時代の同期のIFA、バリバリと業務拡大を進めておられる社労士の先生らとの会食です。

今日は大学のOB会の賀詞交換会。

行く先々に懇意にして頂ける方がいるというのはありがたいことです。

 

さて、私(荒木)はこんな感じでちょろちょろと色々なところに顔を出すのがライフワークのようになってきておりますが(汗)、「何でそんなにいろいろなところに行ってるの?」という向きもあります。

 

1つには、もちろんご縁を結ぶこと、ご縁をつなぐこと。

私(荒木)の業務というのは、お客様もご縁のある方しか受けていませんし、頂いた業務で、自分で対応できないことがあれば、ご縁のある方に協力をお願いすることで成り立っています。

現状では、ご縁があっての仕事であり、仕事のためにご縁が必要という向きは否定できません。

 

しかし、そういったいわば即物的なものではない、ご縁を結ぶ意味というのも他にあります。

それが「自己研鑽のためのご縁」とでもいうべきもの。

これに関しては、「人は人によって磨かれる」という言葉があります。

すなわち、人は読書や座学だけでは得られないものがあり、人と交わることによって成長を遂げることができる、というものです。

 

そして成長のためには1つ絶対の条件があります。

それが「自責」の精神。

身の回りに起こった出来事を我が責任としてとらえ、自らの責任において事にあたる、といいう考え方をいいます。

 

西郷隆盛は、このような精神について以下のような言葉を残しています。

 

「己を尽くして人を咎めず。我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。我を愛する心を以って人を愛せ。自己を許すが如く人を許せ。人を攻めるが如く自己を責めよ。」

 

いや~、実に厳しい。

読んでるだけで息苦しくなってきそうです(汗)。

 

しかし、これは至言であり、自分を責めるというのは辛く苦しいこと。

この精神なくしては成長はあり得ません。

そして成長の後には、成果が必ずついてくるもの。

それは金銭的なものであったり、人からの信用であったり、嬉しい出来事であったりします。

その成果こそは甘い果実であり、自らの目的とするものであるはずです。

 

自責の精神をもって人と触れ合うこと。

 

そのことを続けていればおのずと望む成果を得られる時が来るはずです。

 

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