こんばんは、荒木でございます。
金曜日は朝から監査役を務める土屋ホールディングスのweb会議、その後は大学のOB会の業務、午後は諸々の案件処理、夜はロータリークラブの会合からのスーパーの経営者の方との会食など、なかなかに予定ぎっしりの一日でした。
その中でOB会の業務というのが、名簿作成というわりと地味な業務。
しかし、これが難しかったのが、エクセル上で1行になっているデータを、4段組の印刷フォーマットに変更するということ。
しかも、セルの大きさがそれぞれ違うため、4×4など全てのセルに入れるわけではないというのも、この処理を難しくしている点でした。
私(荒木)は、それほど難しくないだろうと高を括って始めましたが、難しいのなんの(汗)。
最初は4行にわたってデータを入れてそれをオートフィルするもダメ、「index関数」なるものを使ったらできるとの情報を得てそれをやってみるもダメ。
流石に心が折れそうになっていたところ、「=の前に’を入れて参照し、後で『区切り位置』機能を使った後にオートフィルをする」という方法を発見して何とか完成させました。
この間、約3時間(滝汗)。
今週で一番時間をかけた仕事でした。
この名簿管理は、当事務所のスタッフに任せていたところ、「4段組って全然できないです~(泣)。」と言われていたのでやむなく私(荒木)のほうで研究(?)をしたものですが、これを完成させて見せてみたところ、そのスタッフから「すごーい!先生って天才じゃないですかー!!?」と絶賛を受けてしまいました(汗)。
確かにわれながら根気強くネットを調べ、試行錯誤を繰り返したのでちょっと得意気になってしまいました(笑)。
これだけのことで「天才」というのは少々大げさではありますが、現代において「天才」の定義というのが昔と変わってきているのも事実なのかも知れません。
昔の天才といっても様々でしょうが、例えば文明の利器を次々に発明したエジソンのようにゼロイチを作ることが天才の定義となっていました。
しかし、現代においては、既存の仕組みの中でいかに成果を挙げるか、ということが重要になっているのではないでしょうか。
例えばGAFAの創始者であっても、何かを発明したと評されることはなく、パソコンやインターネットといった既存の仕組みを編集したことによって評価されていると言えます。
それもそのはずで、情報通信の発達によって本当に目新しいことでもすぐにそれが世界的に行き渡ってしまうことが当然ですし、何か新しいことをやろうとしても一定程度は「二番煎じ」感が生じることは否めません。
これは一般の仕事においても同様。
目新しいことを求められているというよりは、いまあるものを集めてきて「上手く編集する」ということがどの業界においても求められているように思います。
ここでの「編集」というのは、情報の取捨選択もありますし、視覚的・聴覚的に印象を付けるという技術もありますし、このブログのように文字情報としてまとめるということもあります。
かく言う弁護士業もまさしくそうで、一般的にやっていることは、依頼者から話を聞いてその要点をまとめ、まとめた話を裏付ける証拠を集め、それらを訴状や準備書面、証拠として編集したものを裁判所に提出するという作業です。
同じ素材をもってしても、実は結論が大きく異なることも少なからずあり、それが弁護士の能力として評価されるわけです。
そのような中で仮に弁護士で「天才」と評されるのであれば、それは目新しい概念を創出するよりも、1つ1つの編集作業に長け、結果を残し続けることによって達成されるのかも知れません。
つまり、実は誰しもが「天才」となり得るのが現代という時代なのでしょう。
そう考えてみると「天才」というのは、自分と全く関係ない世界のことではないように思えてくるのではないでしょうか。
天才と呼ばれた私(荒木)(笑)が「天才」の定義について考えてみました。