投稿日:2022年11月11日

【札幌 弁護士コラム】好かれる人、嫌われる人

おはようございます、荒木でございます。

 

ブログ書く宣言をしてしまった手前、無理に早起きして2日目のものを書いております(汗)。

やはり生活のリズムというのは本当に大切です。

 

さて、来年予定しているビッグプロジェクトに向けて準備を進めているわけなのですが、事を起こそうとすればやはり大切になってくるのが周囲の方の協力です。

もちろん、プロジェクトには何らかの取引関係が生まれるわけですので、経済的な利害得失で協力してくれる方もいますし、今のところ未知の方の協力を得られることもあるでしょう。

しかし、こうした場合に核となるのは、「今いる知り合い」です。

そして、「今いる知り合い」にどう思われているかが非常に重要になります。

端的に言えば、「好かれている」か「嫌われている」かの二項対立が存在するわけです。

 

当たり前の話ではありますが、「好かれている」状態であれば協力を求められますし、「嫌われている」状態であれば協力を求められるどころか、妨害だってされるかも知れません。

他人から「好かれている」という状態を作ることは、一つ一つの善行の積み上げなくしては語れないものです。

そして一つ一つを積み上げていったとしても、一度不義理を働いてしまえば、いっぺんに「嫌われている」状態に持って行かれることだってあります。

他人との距離を詰めた状態であるからこそ、ちょっとしたことでも摩擦を生じ、評価がひっくり返ることもあるでしょう。

 

一方で他人から「嫌われている」状態ばかりを作ってしまう人だっています。

さすがに「与党0、野党100」くらいの人はなかなかいませんが、「与党10、野党90」だったり「与党20、野党80」くらいの人はざらにいるものです。

弁護士業をやっていると、本当にいろんな人と会うので、特に珍しくも感じなくなっている部分もあるかもしれません。

 

ではなぜ、「嫌われている」状態ができてしまうか。

簡単にいうと「他者よりも自分を優先している状態を作っている」からではないでしょうか。

 

他者の金よりも自分の金を優先する、

他者の感情よりも自分の感情を優先する、

他者の時間よりも自分の時間を優先する。

 

こういったことが露見すれば一発で嫌われること間違いなしでしょう。

 

名著「嫌われる勇気」では、「今まで我慢していたことを好きに言ってしまおう」的な部分もあります。

しかし、それというのは自己と他者を分離して見る、という文脈において語られているものであり、自分の自己評価の手法を述べたものです。

最終的には他者の利害を無関係として意思決定をして、行動することを肯定しているものではありません。

 

嫌らしい言い方に聞こえるかも知れませんが「少しでも人から好かれよう」という意識を持ってみると、実はまわりまわって自分の感情が満たされることも多いと感じられるのではないでしょうか。

 

電車でお年寄りに席を譲ってあげたり、

エレベーターで他の人を先に降ろしてあげたり、

落とし物を交番に届けてみたり、

お酒が好きな人に希少な日本酒をプレゼントしてみたり(笑)。

 

こんなちょっとしたことで、自分の心が満たされることを感じることもあるでしょう。

そしてこのようなことで人から「好かれている」状態を徐々に作ることで、いざ味方がほしい、といった段においては大きな力となることは紛れのない事実だと思います。