投稿日:2022年10月26日

【札幌 弁護士コラム】害悪をまき散らす弁護士とは

こんにちは、荒木でございます。

 

今日はM&Aのセミナー講師として呼ばれた関係で青森へ来ております。

考えてみると青森には今まで行ったことがなかったかも知れません。

美味しいお酒に巡り合えたことを嬉しく思います(←おい!)。

 

さて、突然ですが、みなさんの弁護士に対するイメージというのはどのようなものでしょうか。

 

「正義の味方」とか、

「立派な仕事をしている」とか、

「頭が良さそう」とか、

「困ったら助けてくれそう」とか、

「金持ってそう」とか(笑)。

 

大体の方はそんなイメージのどれか又は複数をもっているかもしれません。

しかし、弁護士業の内側から見てみるとそんなイメージばかりではありません。

それというのも、弁護士が紛争を扱う場合、相手があるのは当然のこと。

相手が代理人として弁護士を付けていないケースももちろんありますが、弁護士を付けた場合には相手の弁護士とやり取りをすることになります。

そうすると弁護士の個性、内情というものが見えてくるわけです。

 

個性、内情というのが見えてくるとクローズアップされるのが「正義とは何か」という話。

基本的に、弁護士は依頼者に対して忠実義務を負っており、依頼者の利益になることが使命とされています。

ただ、何が何でも依頼者の利益を優先したらいいのか、というとそうでもありません。

証拠を偽造したり、訴訟においてうその主張をしてはならないという真実義務というのがありますし、相手を侮辱したり名誉を棄損したりすれば「品位を損なう行為」として懲戒処分の対象になったりもします。

 

しかし、それら以上に「何のために仕事やってるの?」と思ってしまうことも少なくありません。

交渉や訴訟で争うにしても一定のルールやマナーが存在するものですが、言ってみれば「場外乱闘」的なことを平気でやってくる弁護士もいますし、どう考えても無理だろうという主張を譲らない弁護士もいます。

もちろん自分の依頼者の利益を優先すれば一定の無理なことも生じるのはわかりますが、あくまでルールやマナーという「リング上」での話であり、それを逸脱していいものではありません。

弁護士というのは相手からの評価を気にする義務があるものではないですが、あまりに度を超えているとそれぞれの弁護士のレピュテーションの問題となり、ひいては社会全体から弁護士全体の信頼を損なうことにもなってしまいます。

 

京セラの稲盛さんの述べた格言で以下のようなものがあります。

 

「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」

 

これはいかに熱意や能力があったとしても、考え方が間違っていれば結局は害悪を生じさせるだけになってしまうということを示しています。

そして熱意や能力がなまじ高ければ、考え方を誤るとその分だけ害悪の総量が大きくなるということも言えるでしょう。

 

弁護士は法律事務一般について業として行えることに特権を与えられたものです。

誤った考え方に基づいてその特権を濫用するとすれば、いかなる影響が生じるかは想像に難くありません。

 

最近改めてそのようなことを考えさせられる機会がありましたので、自らを戒める意味も込めて改めて書かせて頂きました。