投稿日:2022年09月29日

【札幌 弁護士コラム】すべてを失わせる「バカ認定」

こんにちは、荒木でございます。

 

相変わらずお久しぶりでございます(汗)。

出張先の東京で書いておりました。

 

私(荒木)が心がけていることの1つとして、「バカだと思われないように振舞う」ということがあります。

この「バカ」という定義は語弊を生じやすいものですが、学歴がどうのとか、テストの成績がどうとか、知識の有無がどうというものではなく「意思疎通ができない人」、「付き合いたくない人」、「一緒にいたくない人」というニュアンスで用いています。

 

なぜバカだと思われてはならないか、というと、バカだと思われた瞬間にその人から何かをもらえる可能性がなくなってしまうからです。

「何か」というのも多義的ですが、仕事、経済的価値のある物、他の人とのご縁など、役に立ちうるものすべてを指しています。

このため、例えばプライベートなことでバカだと思われると仕事をくれなくなるとか、何らかの団体の仕事においてバカだと思われるとプライベートで付き合ってくれなくなってくるといったようなことが起こります。

すなわち、バカだと思われても表面上は付き合ってくれることはあるかも知れませんが、その「実」の部分はなくなり、何も与えてもらえなくなるでしょう。

 

バカだと思われる原因はいくつかあるのでしょうが、「共通認識のずれ」にあることが多いように思います。

共通認識のずれとは、例えば常識的な前提を誤って考えていることや、常識を外れた行動を取るということ。

もちろん、常識というのも多義的ではありますし、常識的な考え方や行動がすべて正しいわけでもありません。

大切なことはその言動が相手や周囲にどのような影響を与えるか、事前に考えて動いているかどうかです。

 

確かに常識も多義的な部分もありますし、ビジネスの場面などにおいて自分の意見を通さなければならないときには、一定程度キャッチ―なことを言ったり、トリッキーな行動が必要になったりすることもあるでしょう。

しかし、そのような言動を行うにしても、それまでの相手との関係性の構築や、クッション言葉やディスクレーマーの使用など、やるべきことは存在するはずです。

そういった前提を持たずに事を起こしてしまうと「バカ」認定されてしまうでしょう。

 

もう少し敷衍して述べるならば「三手の読み」を持って言動に及んでいるか、ということが言えるかもしれません。

三手の読みとは、将棋の棋士であった原田泰夫九段が提唱し、一時、流行語として社会的にも広がった考え方で、「自分はこう指す、相手はこう来る、それに対して自分はこうしよう」という将棋の読みにおいて最も基本となる思考のユニットをいいます。

非常にシンプルなことではあるのですが、ここで大事なのは「相手はこう来る」の部分が複数の可能性があることを理解し、それぞれの可能性に対して「それに対して自分はこうしよう」の部分を複数用意しておくことです。

常識の範囲でも「相手はこう来る」の部分は一定の幅を持つことが通常であり、「相手はこう来るはずだ」と決めつけて3手目を絞り込んでしまうのは「勝手読み」といって将棋で一番やってはいけないこととされています。

要するに、「バカ」認定される行動の背景には、勝手読み状態になっている思考プロセスが存在することも多々あるものと考えられます。

 

そして一旦バカだと思われてしまうと、回復不能な人間関係の破断に追い込まれる、という重大な結果をもたらしてしまいます。

ビジネスにおいては取引停止、プライベートでは絶縁、コミュニティにおいては村八分といった状況に至ってしまう例も少なくありません。

そしてこれらの状況は時にサイレントで行われ、バカと思われることに気づかないという可能性もあるというのが恐ろしいところです。

 

「バカ認定」を避けるためには、常に一挙手一投足がバカだと思われる可能性を秘めていると想定しておかなければなりませんし、それは調子に乗っているときや何かに気を取られて心に空隙ができているときほど意識しなければならないように思います。

ご縁を広げることは様々な機会を得ることにつながりますが、バカ認定されることは機会を失うことになります。

 

バカ認定を避けるためにできること、考えてみてもよいのではないでしょうか。

 

※バカを多用した品のないブログですみません(汗)。