投稿日:2022年03月24日

【札幌 弁護士コラム】人生100年時代、あなたは何年生?

こんにちは、荒木でございます。

 

今日から東京出張でございます。

くれぐれも羽目を外さないように(滝汗)、旧交を温めたり、新規事業の卵を温めたりしてまいりたいと存じます。

 

さて、世間は卒業式シーズン真っ只中。

私(荒木)の周りでもスタッフがPTA会長を務めており、卒業式であいさつをしたなどという話が聞かれています。

親御さんにとってみれば感慨深いイベントですね。

そしてあと1週間もすれば今度は入学式シーズン。

1年の移り変わりを最も感じられる季節といえるかもしれません。

 

卒業や入学を迎えずとも、学生であれば1学年進級するシーズンでもあります(一部の例外はありますが。)。

学年が進むと、当然により高度な勉強をすることとなるとともに、考え方や立ち居振る舞いも大人に一歩ずつ近づいていくことを求められるようになります。

このことは学生をやっていれば当たり前ですし、社会人から学生を見ても当たり前でしょう。

 

しかし、これが社会人になってみたらどうでしょうか。

新入社員は学生になぞらえて「一年生」と言われることもあります。

ただ、2年も以降も「二年生」「三年生」と数えられるかというとそうでもありません(弁護士業界では「司法修習○期」といっていつまでも年次を気にされる部分はありますが。)。

これには、「社会人になったら年次に関係なく責任を持つべきものであり、年次によって責任が異なるものではない。」という発想があるのかもしれません。

 

一方で、「1学年進級したらその分やっていることが高度化する」ということがうやむやになっている感は否めません。

さすがに社会人1年目と2年目を比べたら相当程度に立ち居振る舞いが変わっているのでしょうが、これが11年目と12年目を比べたら、まず見分けなどつかないでしょう。

それは外部から見た場合の評価だけではなく、それぞれの人の意識としても一定の年次を過ぎれば大きな変化がなくなってくるものです。

平たく言えばマンネリ化、ルーティーン化が進んできます。

これにともなって1年ごとに成長していこうという意識も薄まってくるものではないでしょうか。

 

外から見て何年目に見られるかは大きな問題ではないのでしょうが、自らの成長に当たっての変化を感じられなくなるというのは大きな問題です。

そこで、社会人になっても「年次」を意識し続けてみるのはどうでしょうか。

私(荒木)の場合であれば、社会人「13年生」ですし、人生「40年生」なわけです。

そう考えてみると「13年生」「40年生」に見合ったことができているか、検証が可能になるのかも知れません。

すくなくとも「12年生」のときに学んだことが今でもできており、「12年生」で学んだことを土台としてより高度のことができているかという振り返りはできるのではないでしょうか。

 

こういった発想は、とかく「昨日やったことを今日もやり、今日やっていることを明日もやる」、ひいては「去年やったことを今年もやり、今年やっていることを来年もやる」ということになってしまいがちな日々の生活や仕事に一石を投じることになるはずです。

これは経営者であれば、「去年付き合ってた人と(惰性で)今年も付き合っている」ということであったり、「去年学んだことを(漫然と)今年も学んでいる」ということであったり、「去年やっていた事業を(何も考えずに)ことしもやっている」ということにも適用可能性があるのかも知れません。

 

こういったことは1人で見つめなおすのが難しいのもまた事実。

そんなことだからこそ、継続的に事業を見てもらっている税理士や弁護士など、外部の専門家に評価してもらうのも1つの方法になってきます。

 

年度の変わり目というのは考えさせられることが多いものです。

本当に「n+1年生」になれるのか、ときに自分で進級試験をしてみることも必要なのではいでしょうか。

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