こんばんは、荒木でございます。
今日は土曜日でしたが、朝から一般民事事件のご相談、午後からはエフェクチュエーション(新規事業に関する思考様式)の勉強会でした。
さて、世の中ではロシアによるウクライナ侵攻が大きな話題になっております。
私(荒木)は背景事情等についても一応の勉強をしましたが、もちろん反対の一手です。
しかし、これは評論家としての意見でしかなく、実際に日本のいち市民としてできることは、恥ずかしながら自衛を図ることと、一刻も早い平時への回帰を祈ることしかできません。
大きな実力の前では何もできない無力さを改めて感じるところです。
ロシアは核兵器を背景にした武力行使を進めていますが、日本国内ではさすがに武力行使はないものの、権力を背景にして屈服を迫るようなことは日常的に行われているものです。
例えば、先日も記事にした税務調査。
とある税務上の論点について、こちらは裁判例や審判例を調べ、論理的根拠を分析し、それを調査官にぶつけたところ、調査官はしどろもどろに。
私(荒木)が「完全に理論的に破綻してますよね?」と詰め寄っても、調査官は何も答えられない状態にまでなりました。
それでいて、国税庁の見解としては「課税する」の一点張り。
これに逆らったら洗いざらい調べて、更正処分を打つとまで言ってきました。
完全に論破してるのにですよ?
もう一つは、いつも通っている(?)裁判所。
もちろん、裁判官にもよりますが、まぁひどいときはひどい判断を平気でやるものです。
これ、私(荒木)が代理人についているほうに不利な判断をしたことをやっかんで言っているものではありません。
いくら理論的な立証をしたとしても、裁判官による心証の開示にしても、判決文にしても、論点に対してまっとうに理論的に納得のいく説明をされたことは、ほぼ皆無とまでは言わないにしても決して多くはありません。
まぁ私(荒木)が衝いているツボがおかしいのかもしれませんが、それにしても理由付けで納得できないものが多すぎます。
それでも結局は裁判所が「こうだ」と言ったらそれに従うか、不服申し立てをして別の裁判官の判断を仰ぐしかない構造となっています。
これらのミクロのことから帰納的に考えるとすれば、「理論的な批判は権力の前では無力」という構造が導き出されます。
これは権力を持った立場から見ると、よくわかるかもしれません。
すなわち、権力を持っていない人(=納税者としての荒木、代理人弁護士としての荒木)などは、権力で押さえつければいいんであって、納得をしてもらう必要など1mmもないということです。
一方で、権力を持つ立場として大事なことはその地位を守ることです。
権力があるからこそ、他者の意見を聞かなくていいわけなので、その地位こそがじゅうようだからです。
だから国税庁の調査官は上司の決裁が通るかが気になるわけですし、地裁の裁判官は高裁でひっくり返されないかが気になるわけです(気になるんだったらもうちょっとくらいちゃんとした判決文を書いてもいいんじゃないかと思うことも少なくないですが。)。
ロシアの話に戻り、権力(経済力、軍事力)で押さえつけられる者の意見は聞かない、自己(自分)の地位を守るために最善の行動をとる、という2つの行動原理があるとすれば、プーチンの判断もその意味では合理的なのかも知れません。
そして、ロシアの権力に屈している各国が何を言っても聞かないのも、また当然のことなのでしょう。
正義だ、倫理だ、常識だ、論理だと言う前に理解しておかなければならないのは、残念ながらこのような構造なのかも知れません。
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