投稿日:2022年02月21日

【札幌 弁護士コラム】最近の難しい漫画に学ぶ「自己の定義」とは

こんばんは、荒木でございます。

 

一部誤解があるようなのですが、私(荒木)はまるで読書家ではないのですが、漫画はそれなりに読んでたりします(汗)。

そんな私(荒木)最近、思うことが多いのですが、この頃の漫画って難しいもの多くないですか?

 

昔は浦沢直樹の漫画などは「難しいなー。」と思ったりしていたのですが、特に最近は難しい漫画ばかりな気がしています。

「進撃の巨人」とかどうやって伏線を回収してるのか最高潮に難しいですし、藤本タツキの「ファイアパンチ」「チェーンソーマン」あたりも途中からいきなり難易度が上がってくるイメージです(私(荒木)の読解力がないだけ?)。

こういった現象も、昔のような単純な漫画では単調と思われるようになってきたという背景もあるでしょうし、漫画が単なる娯楽ではなく文化として認められるようになってきたという事情もあるでしょう。

 

そんな中で、上記のような難しめの漫画に共通している、難しさの原因というのは「誰と闘っているのかわからない」という現象にあるのではないでしょうか。

私(荒木)が解説できるほどよくわかっていないのと、ネタバレになるのもあって、ストーリーは各書を読んでください、って話なのですが、これがまぁわからなくなる。

10頁や20頁遡ってわかるのならまだしも、何巻も前をひっくり返さなければならないものだってあります。

 

それでもって、最終的な課題の大部分は「自分とは何なのか」という哲学的な悩みに行き着くというもの。

確かにそれはそうで、これまで闘ってきた相手と同盟を組んだり、逆にこれまで仲間だった相手に刃を向けなければならなくなるのですから、自分の中での合理化というのは極めて難しく、そのような悩みにならざるを得ないのでしょう。

 

しかし、これって現代社会においても同じようなことは多くあるのではないでしょうか。

例えば、相続問題。

これまで仲良くやってきた(ように見える)家族が、一家の大黒柱を失った途端に相続の紛争になる、というケースはまま見受けられます。

相続の問題は最終的には金銭の問題ですので、あまり私(荒木)などは、心情や思想に踏み込まないようにあえてやっている部分はありますが、本当に仲の良かった家族と争うことになったりするのであれば、「自分とは」「家族とは」といった哲学的な悩みに行き着くのではないでしょうか。

 

一方で、ビジネスにも当てはまる部分もあります。

創業者が一生懸命作ってきたビジネスのノウハウを仲間が持ち出して競合相手になることもあるでしょうし、市場の変動によりライバルとされていた相手と合併せざるを得ないようなこともあるでしょう。

こういった時に、やはり経営者は「自分とは」「会社とは」といった哲学的な悩みに至ることでしょう。

 

共通していえることは、最初から「自分とは何なのか」というところを研ぎ澄ましておけば、多少の動揺にも耐えられることがある、ということです。

ドラッカーで言えば「何をもって覚えられたいか」ということかも知れません。

要するに、「自分」というものに対する定義を与えておけば、自分の行動規範となり、定義に反することは行わないですし、迷いが生じた場面においても定義通りの行動が正しい行動となるわけです。

 

もちろん、自分の定義を定めることは容易なことではありません

上記の漫画にもう1つ共通していえることは、「主人公の成長過程を描いている」ということです。

最初は大きな悩みもなく、明らかな敵を撃破していくだけですが、成長することによってそのことに疑問を持ち始めることから「自分とは何なのか」ということに悩みを持つようになっていくわけです。

痛みと苦しみを伴いつつ形成されるのが定義なのかも知れません。

 

これらを統合するとすれば、「自己の定義に迷いがないとすれば未熟、迷いが生じて半人前、定義が確立して一人前」とでも言えるのではないでしょうか。

 

とりあえず私(荒木)は定義に迷いを生じさせるべく、漫画じゃない難しい本も読もうと思います(汗)。

 

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