おはようございます、荒木でございます。
今日は何も予定がないため、朝から投資案件の対応です。
土日で誰もいない中、仕事がはかどると本当に気持ちいいものです。
さて、年初以来、「幸せって何だろう?」ということについて思いを巡らせ続けてきました。
元はといえば今年の目標設定をどうするか、というところが発端だったわけですが、そんなに簡単な話ではないことが分かってきました。
「何をいまさら?」と思われる向きもあるでしょうが、やはりその部分が固まっていなければ何事も始まりません。
そして多くの人にとって「幸せ」というのは極めて抽象的な概念でしかありません。
これを突き詰めて行くことが、実は、行動指針を作るうえで最も近道だったりするのかも知れません。
例えば、「お金がいくらあったら幸せと思いますか?」という質問を受けたとします。
これって実は非常に難しい質問だったりします。
弁護士的な脳で考えるとすれば、例えば借金のある人であれば、その借金が帳消しになれば幸せだと言えるのかも知れません。
また、債権回収で悩んでいる会社にとってみれば、その債権が全額回収できれば業績的には幸せに見えるのかも知れません。
しかし、本当にそうなのか、というのは立ち止まって考えなければなりません。
それというのも、お金があるという状況だけでは、借金をしている人であれば借金を残してしまった実績のある行動基準は変わっていないわけですし、債権回収をしそびれた会社もまた然りです。
こう考えてみると、本来、お金というのは意思決定基準、行動基準を補助するための道具でしかないと言えるのではないでしょうか。
すなわち、お金があることで、確かにできるようになること、やらなくてもいいことが増える、言い換えれば行動の可能性に幅を持たせることができるようになるわけですが、幅を持つこと自体が幸せなのではなく、その中からどれを選ぶかで幸せか否かが決まってくるという構造があります。
これは人間関係でもそうではないかと思います。
「多くの人と知り合いたい。」とか「様々な人と交流したい。」といったことを掲げている人もいるでしょうが、これも同様で、実は人と触れ合うこと自体が幸せではなく(もしかしたらそうかもしれませんが)、本来的にはその先に何らかの幸せの要素があるのではないでしょうか。
この「幸せの中核」とでもいうべきものを探し当てるのは本当に難しいことかも知れません。
ただ、その中で一つ言えるのは、中核の部分ではない部分、すなわち明確な用途のない多額のお金などに振り回されて、その結果、幸せから遠ざかってしまう行動を取ってしまうことは意識的に避けなければならないということです。
私(荒木)自身、弁護士業という仕事をしていて身につまされることも多くあります。
特にゼロサムの関係にある案件では、もちろんこちらの依頼者が有利になるように動き、それによって報酬を頂くわけですが、どうもそれが私(荒木)自身の幸せに直結しているのか引っかかることもあります。
人が本当に力を発揮できるのは、幸せを感じるためにする行動に直結する部分しかないのかも知れません。
その意味では「幸せって何だろう?」という問いは尽きないものであり、また必要なものなのではないでしょうか。
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