おはようございます、荒木でございます。
昨日は後見人の業務で美唄まで。
前回訪れたときもホワイトアウトでしたが、今回は高速が通行止めという悪運。
下道を2時間半という苦行でした(汗)。
さて、最近、「原価と値決め」について考えさせられることがちょくちょくあります。
弁護士業などの士業やサービス業などでは、会計的な意味での原価は基本的にありません。
(人件費などは一般管理費に分類されます。多分。)
そう言った意味では、原価率0%、粗利率100%という商売になっています。
しかし、難しいのはここからの値決めです。
原価から決めるというアプローチ(コストアプローチとでもいうのでしょうか。)であれば、いくら安くても構わない、ということになりかねません。
すなわち、いくらで売っても儲けが出るので、ある意味で売上目標に依存することになります。
一方で依頼者の側から見ると、「原価がかかっていないのになぜこの値段なのか」という問いに答える必要があります。
基本的にな考え方としては、「価値に見合った値段」というのが適正なのでしょうが、ここでの「価値」の定義というのがまた難しい問題です。
一般的な弁護士報酬であれば、係争金額の○%が着手金で、得られた経済的利益の○%が成功報酬、という形を取りますが、このパーセンテージが妥当なのかも論証が必要です。
さらに、紛争案件でなければそもそもこの公式が適用されませんし、契約書の作成案件などでは何が価値であるのかも今一つ明確になりません。
これとは別の視点として、会計的な意味での原価がかかっていないとしても、本当に原価が存在しないといえるのか、という疑問も残ります。
先日、読書合宿を行った話を書きましたが、この期間中は2泊3日、15時チェックインの翌々日11時にチェックアウトという時間の中で約24時間は本を読んでいました。
中日であれば1日で約14時間読んでいた計算になっています。
これが凄いことかどうかは措くとして、ロースクール受験~司法試験受験の間はほぼ毎日、4年以上はこれくらいの時間は勉強していましたので、司法試験合格までに費やした投下時間(あと気力と体力もw)はかなりのものになるはずです。
資格がなければできない商売なわけですし、このことを考慮にいれずに値決めをするのは何か間違っているような気もします。
最終的には事業者と依頼者との妥結点で値決めがなされるわけですが、その金額が価値に見合っている部分と、それ以外の営業的な部分との比率も問題になります。
よく営業の世界では「あなたから買いたいと言われなさい」という教えがなされますが、これがあまりに行きすぎると本来の商品、サービスの価値はどこへ行ったという話になりますし、それが度を超えると詐欺になってしまいます。
例えば、1人暮らしの高齢者の方のところに足しげく通い、話をしてあげて気に入られたところで相場より高い商品を売るというビジネスモデルがありますが、これが金額に見合った価値を提供しているか、という観点から見ると難しいところです。
家族からすると詐欺だと思ってしまうところですが、本人にとっては満足の行く買い物なのかも知れません。
稲盛和夫さんは「値決めは経営」と言っていますが、こういったことを考えると本当に深遠な世界が広がっているものだと実感させられます。
結論的なものはありませんが、そんなことを考えて仕事をしている今日この頃です。