こんにちは、荒木でございます。
本日は自宅でこぢんまりと新年会。
このようなイベントを開けるようになったことは本当に嬉しいですね。
さて、昨日の続きです。
昨日は弁護士業界の状況の変遷についてお話させて頂きました。
今日はこれによっていかに弁護士に対する見方が変わってきた部分があるように思います。
変化その1。
「センセイ業」ではなく、「事務屋さん」化しつつあるということ。
以前は弁護士であることだけで崇められていたような時代がありましたが、最近はそうでもありません。
相談するのに勇気が要ったという時代は今は昔であり、何かあれば気軽に相談や依頼ができるようになっています。
何か問題があれば無料で法律相談ができる人、という存在ですらあります。
弁護士というのは裁判官や検察官と違い、法律事務を有償で受任できることや、裁判所における代理権があるくらいのもので、これといった権力を持っているわけではありません。
従って「崇める」ような対象でないことは当然なのですが、一方で無償で法律問題を解決するボランティアをやっているわけではありません。
古き良き時代には、弁護士に余裕があったことから、(人によっては)プロボノ活動を今にもまして盛んに行っていたように思われる節もあります。
弁護士会もそれを推奨してきた歴史があります。
しかし、弁護士各人にとってはそれほど余裕があるわけではなく、現に弁護士会の委員会への加入率(実質的な意味で)は下がり続けているようです。
すなわち、プロボノをやりたい弁護士会と、そうもいかない各弁護士がいるという構図があります。
ここにギャップが存在するわけです。
これに対して、一般の方から見た場合には、弁護士会が行っているキャンペーン(無料法律相談等)ばかりが目に入るわけで、「ただでやってくれる事務屋さん」とみられてもおかしくない状況があります。
また、これに追従するように、「法律相談無料」を掲げる事務所が出てきたこともこれを後押ししています。
これに関して私(荒木)は、「経済的状況が厳しくなっているにも関わらず、無料化が進んでいることって何かおかしくないですか?」と思っているわけです。
そもそもえらいコストをかけて資格を取り、知識や技術やノウハウを安売り(場合によっては無償提供)するということ自体が信じられないわけです。
弁護士が安売りや無償提供を行うというのは一見、依頼される側の一般の方にとってはいいことのように思えるかもしれません。
しかし、人はすべからく余裕がなければ冷静な判断ができないものです。
経済的な余裕がなければ自らの利益になる判断をしますし、時間的な余裕がなければ雑な判断をします。
これは弁護士それぞれの個人の資質というよりは、行動原理、原則といった部分での制約に他なりません。
私(荒木)は、いま弁護士がなすべきことは、提供できる価値を高め、価値を価値として感じでもらう努力を行い、しっかりと対価を頂くことではないかと思います。
私(荒木)も未熟ながらではありますが、北海道におけるM&Aの振興を図る活動を行い、顧問や社外役員として頂いている会社様に対しては、形式的な法律論だけのアドバイスだけではなく、会社としての意思決定を支えるようなアドバイスを心がけています。
その前提としてはもちろん、法律以外の勉強も欠かせませんし、人脈作りや情報収集も怠ってはいけない、というプレッシャーがあるわけです。
だからこそ、私(荒木)の事務所では無料相談はやっていませんし、それなりのチャージを頂いています。
そして「センセイ」と呼ばれたいわけではありませんが、「全包囲網でお客様のニーズに応える」ことを続けてきた自負もあります(まだまだ修行中ですが。)。
そういったわけで「センセイ業」ではなく、「事務屋さん」化しつつあるという見られ方は変えていかなければならないと思っておる今日この頃です。
あと、変化その2(魅力ある職業ではなくなっていること)、変化その3(サラリーマン化していること)についても書こうと思っていましたが、またもや長くなってしまったので明日に続きます(汗)。