明けましておめでとうございます、荒木でございます。
新年ということで、心新たにブログを再開する所存でございます。
さて、新年というと目標について考えることが多いもの。
本日配信のメルマガでもそのことに触れさせていただきました。
そのメルマガで書かせていただいたこととも通じることではあるのですが、目標設定とは究極、自分がいかにあるか、ということに尽きるものです。
法律家として述べるとすれば「いかに自律的な自己決定ができるか」ということになるでしょうか。
要は、他人に自分の人生を決められることなく、自らが欲するところに赴くことができる人生を送るということが肝心なのではないか、ということです。
このことを達成するためには様々な要素が絡み合ってきます。
経済的な状況、人間関係、健康問題などは言うに及ばずですし、最近のいわゆるZ世代という人にとっては特に環境問題や持続可能性といったことも、意思決定における重要なテーマとなっています。
これを分解してみるとすれば、一つの視点として自分個人の問題と、外部環境との問題に分けることができます。
自分個人の問題としては、自分個人のとしての主義主張がありますし、自分をいかに律し、躾け、修行するか、といった問題があり、外部環境の問題としては人間関係があり、経済的な課題が挙げられます。
そして、この2つは簡単に切り離せるものではなく、相互に影響しあう関係にあるものでしょう。
すなわち、周囲を顧みず自分一人のこだわりだけで生きていくことは困難でしょうし、周囲に合わせるだけで自分のやりたいことができる訳ではありません。
このバランスをいかに取るかというのが意思決定における妙味の部分です。
今朝の日経新聞に森鴎外の特集が掲載されていたので、読まれた方も多いでしょう。
森鴎外(本名:森林太郎)の遺書には「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と書かれていました。
森鴎外は、幼少の頃から天才と謳われ、11歳(!)で東大医学部に入学して(このとき2歳サバを読んで入学したとされています。)、その後は軍医として活躍をする傍ら、文学で大きな功績を残しました。)
この遺書に書かれた「石見人」というのは森鴎外が幼少期を過ごした、島根県の津和野出身を指すものですが、これは森鷗外が成人した後に得た肩書や称号をすべて捨てて、一個人として最期を迎えたいという遺志の現れだったとされています。
このエピソードをどのように解釈するか、というのは見解の分かれるところでしょうが、私(荒木)が思うには功績を残し、名声を得た森鷗外であっても、最終的な意思決定は「自分がいかなる自分であるか」ということに帰着したものだといえます。
そしてこのことは、社会の中に身を置き、その中で揉まれ、悩んでこそ見つかるものであるべきですが、その根底には「自分を見つめる」という視点が不可欠なように思います。
自分を見つめる、ということは簡単に見えて容易なことではありません。
能の開祖である世阿弥は「我見、離見、離見の見」という言葉を用い、いかに自分を客観的に見ることが大切かを説いています。
それだけに自らを客観視することは難しいことの裏返しでもあります。
容易なことではありませんが、「自分を見つめる」という課題をもって1年を過ごしてみることは、1年の目標設定としてふさわしいものではないでしょうか。