投稿日:2021年09月27日

【札幌 弁護士コラム】「原因があって、結果がある。」という方程式がなぜか浸透しない理由とは?

こんばんは、荒木でございます。

 

今日は出張先から戻ってきて、事務所でデスクワークなど。

緊急事態宣言期間中にできる限り案件の目鼻を付けておきたいところです(理由は…(笑)。)。

 

さて、いつも言っちゃっていいのかどうなのか迷うところなのですが、「それを言っちゃお終いよ。」というお話です。

 

弁護士業という仕事柄、というか弁護士というイメージから、困ったことが起こった方からご相談を頂くことが当たり前になっています。

もちろん、そういった紛争処理で食べさせてもらっている部分も否定できませんし、どうしても困った段階でしか相談できないような突発的な事象もあります。

 

しかし、そのような中で頻繁に思うことがあります。

 

「原因があって、結果がある。」

 

これがそれなのです。

 

この字面だけをみると、確かにその通り、と思って頂けるかも知れません。

しかし、それが切羽詰まった状況で言われてみると、自分が悪いと言われているようであり、わりとショックに思えるのではないでしょうか。

 

私(荒木)も一応はその辺のさじ加減を分かってやってきたつもりですが、あまりにもこのことが軽視されてならないため、最近では空気を読まずに(笑)、ご相談に来られた方にも面と向かって言うようにしています。

それというのも、1つには紛争処理がどうも水物と思われているらしく、「いい弁護士に頼んだら何とかしてくれる。」的な発想が後を絶たないということがあります。

 

仮にそのようなことで私(荒木)を選んでくださるのはありがたいことなのですが、その期待をばっさりと裏切り(笑)、そうではないということを言ってしまいます。

紛争がどのように決着するか、ということは過去の振り返り作業であり、人が過去を変えることはできないわけですので、自ずと着地する地点も自動的に定まってくるもの、というか定まってしまっているものです。

だからこそ、結果云々を論じるのであれば、弁護士の力量がどうだという話の前に過去の分析や考察を行うべきではないか、と思ってしまいます。

 

また、真の意味で原因を振り返るとすれば、自ずと自らの行動を振り返ることになるわけですが(ここも人によっては外部環境に原因を求めてこられることもありますが、それはそれで自責と他責の話を差し上げなければなりません。)、自らの行動を振り返ることで、反省が促されることとなります。

そして反省が促されたとするならば、行動が改められるのであり、自動的に再発防止策にもなります。

 

ここまで言っていても、なかなかに「原因があって、結果がある。」ということは簡単に受け入れられているものではありません。

そこには人それぞれの幻想(ファンタジー)のようなものが存在するのではないかと考えています。

ファンタジーといってもそれほどメルヘンなものではなく(笑)、「自分は他人とは違うんだ。」とか、「自分がうまく行かなかったのはたまたまだ。」とか、「もう一回やったら結果が変わるはずだ。」とか、原因の存在を争うような発想のことです。

このファンタジーがなかなかの曲者で、その人の内部に取り込まれて、人格に深く結びついてしまっていることも往々にしてあるからです。

 

そんなわけで、弁護士業の仕事というのは「原因があって、結果がある。」ということを分かってもらうというのが、実は本懐なのかも知れません。

そして、結果が発生する前に、事前に相談して頂き、原因を予め除去する機会を与えてもらえることが、もっとも弁護士としての有用性が高い使い方といえるのではないでしょうか。