こんばんは、荒木でございます。
ここのところ、粛々と業務に勤しんでおりますが、おかげ様で忙しくさせて頂いております。
さて、今日は珍しく(?)時事ネタをベースにお話してみたいと思います。
私(荒木)は、何を隠そう巨人ファンなのですが(あれ?実は言ったことないかもですね。)、ちょっと気になるニュースがありました。
<4回13失点、指の皮が剥けた20歳の投手に「投げろ」…巨人二軍選手が恐れる阿部慎之助の“アベのムチ”>
https://bunshun.jp/articles/-/47964
(週刊文春オンラインより)
この記事だけを見ると阿部二軍監督が随分ひどいことをやっているような論調に見えるでしょう。
今のご時世、少し厳しい言い方をしただけでパワハラ呼ばわりされるのですから、それもわからないでもないです。
ただ、「プロ」の世界において何が必要なのか、ということを考えなければなりません。
その前提として、人の成長曲線とでも言うべきものも合わせて考える必要があります。
本件において被害者(?)とされているのが横川投手。
大阪桐蔭高校出身のドラフト4位で3年目の投手です。
これまで1軍での登板は4試合で勝ち星はなし。
このまま行くと1軍に定着して戦力となるか、あと2、3年で消えてしまうかは微妙なところでしょう。
先発は3試合任されていますので期待もありますが、それでいて1軍に定着できていないのは「何か」が足りないからに他ならないということになります。
では「何か」とは何なのでしょうか。
禅問答みたいな話なのですが、重要なことはこの「何か」というのが本人の閉じた世界だけで見つかるかどうか、ということです。
もちろん、この投手はまだ20歳と若いので練習を積む中で何かを発見して、自分で成長していけるのかも知れません。
しかし、過去に1軍登板経験もありながら、次の機会を逸してきたのは、首脳陣にとって物足りないものがあったからに他なりません。
その「何か」が私(荒木)には皆目見当もつきませんが、ここで重要な物の見方としては、自分では発見できていないことをどうやったら見つけられるか、ということです。
人にはそれぞれの常識、習慣、感覚というものがあり、それらの要素が知らず知らずに行動を規律しており、その行動によって結果が生じます。
多くの人はこのことを疑問にも思わず、日々の生活を所与のものとして受け止めてしまう節があります。
普通に生きていたら普通に過ごせるのが当然であり、ややもすると、その所与の生活を害されることが異常事態であると感じてしまうことすらあります。
しかし、プロの世界というのはこれとは全く逆です。
普通のプロでしかなければ他の秀でたプロに押しつぶされてしまい、日の目を見ることはありません。
そして、普通のプロといえどもそれまでのアマチュアの世界では超一流選手ばかりだったのであり、尋常なやり方では頭一つ抜け出ることすら極めて困難な世界なわけです。
だからこそ、プロの世界で自らの才能を開花させるには当たり前のことをやっていたのでは足りません。
言葉を変えるとすれば、自らの成長曲線のままにやっていたのではやっていけないわけです。
話が戻りますが、なぜ阿部二軍監督は横川投手に長いイニングを任せ、マメが潰れても降板を許さなかったのでしょうか。
横川投手は二軍では一定の成果を挙げており、実力には十分に期待が持てるわけですが、いかんせん一軍では結果が残せていません。
私(荒木)の想像の限りですが、そこで考えられたのが「コロナの関係で投手がいないから」などというものではなく、「横川に責任感を与えたかったから」ということなのではないでしょうか。
当然、阿部二軍監督としては、ジャイアンツの戦力として期待しているのであって、成長を願っているのであり、いじめや嫌がらせといったネガティブな目的があるわけもありません。
そこで考えられたのが「長いイニングを投げるという責任感を持たせる」という目的をもっての4回までの続投策だったのではないでしょうか。
まだ色々と想像はあるのですが、これ以上は根拠のないことになるため割愛しますが、重要なのは、阿部二軍監督と横川投手では目的意識が違いますし、成長曲線の認識が違うということなのだと思われます。
阿部二軍監督の指導方針が完全に正しいのかは私(荒木)には測りかねますが、横川投手の常識に一石を投じたのは間違いありません。
それが正しい一石だったのかはわかりませんが、その捉え方を決めるのは横川投手でしかなく、その捉え方によって今後の成長曲線が変わることは間違いないことでしょう。
このようなことは、普通に仕事をしている中でも頻繁に起こっていることです。
上司から説教をされて「何だあいつ」と思うことも多いでしょうが、これが「自らの成長曲線を変えてくれているんだな」と思うと世界が変わります。
今のご時世、部下であったとしても他人に対してネガティブな意見をすることを避ける風潮が強まっていますが、これがなくなってしまえばまさしく野放図の世界になってしまいますし、何より他者から成長曲線の修正を受けることもなくなって成長の機会を失うことになってしまいます。
自らの成長曲線を上方修正してくれる(可能性がある)ものに感謝する。
当事者からするとこの意識を持つことが重要ですし、周囲からもこのことを尊重することが見直されるべき時期が来ているのではないでしょうか。
「厳しすぎる」「パワハラだ」「時代錯誤だ」というのは簡単ですが、その背景にあるものを見なければ本質を見落とす時代に差し掛かったと感じた次第です。