こんばんは、荒木でございます。
今日も元気に仕事に勤しんで参りました。
お盆休みも今日までとなり、明日から再始動という方も多いと思います。
休みの間に完全にスイッチを切ってしまうとダルさを感じるわけですが、スタンバイモードになって日々過ごしていれば連休明けのダルさもないということを毎度感じています。
さて、目標設定の話を続けます。
今回は目標設定を何のためにやるか、という根本的なお話をしたいと思います。
突然ですが問題です(笑)。
私(荒木)は昔からやっている将棋を趣味にしていますが、将棋を指しているときに考えるのはなぜでしょう?
…そんなの当たり前じゃないかって?
そうです、当たり前なんですが、相手の玉をいかにして自分の玉よりも早く詰ませるかを考えるんですね。
これというのも、将棋という名前の「ルール」が存在するから目標が一義的に明確になっており、考える指針が明瞭となっているからです。
仮に、この「ルール」が人によって違っていたら何をどう考えていいのかわかったものではありません。
この意味において所与の「ルール」があるということは、思考体系を明確化する役割を持っています。
人生においてもこのような「ルール」が存在する領域が存在します。
それが学歴であったり、財産であったり、容姿であったりします。
学歴は高いほうがいいし、財産は多いほうがいいし、容姿だって整っていたほうがいい、というのが一般的な見方です。
多くの人にとってこのようなパラメーターにおいては暗黙の「ルール」が形成されているとみたほうがよいでしょう。
このため、一般的な意味においてはパラメーターをいかに高めるか、という目標が知らず知らずのうちに与えられています。
しかし、個々の人生において見た場合には、必ずしも一般的なパラメーターが個人の目標に紐づいているかというとそうでもありません。
高学歴でイケメンの金持ちが必ずしも幸せかというと、必ずしもそうではありません(確かに幸せと感じている率は高いのでしょうが。)。
それというのも人生というレベルで見た場合、一般的なパラメーターの比重というのは本来的に高いものではないからです。
一方で、メディアや世論の力が強いがために、一般的なパラメーターが個々人の目標にまで侵入して行っている感は否めません。
「一般的にこうあるべきだ」という無言の圧力が人の意思決定を左右している部分は大きいでしょう。
しかし、本来は、人生というのは無地のキャンバスのようなもので、自分自身が1からデザインをしていかなければならないものです。
そこで目標設定というのはグランドデザインを形作る下書きのようなもので、意思決定基準の下敷きになるべきものです。
目標があるからこそ、そこに至るための「ルール」たる意思決定基準を自ら定め、その「ルール」をどれだけ守ることができたか、というゲームをすることができるわけです。
この「ルール」設定というのは、個々人によって異なるものであり、本来は他人に干渉されてはならないものです。
他人に干渉されて出来上がった「ルール」は、そのゴールに至ったとしても満足感が得られないものとなってしまい、用をなさないものとなってしまいます。
子供のころから親のクリニックを引き継ぐために勉強をさせられることであったり、親が決めた結婚相手と結婚しなければならないことであったり、このようなものは他人に作られた「ルール」の典型例だといえるでしょう。
目標設定は、個々人の「ルール」を定めるためにあるものであり、唯一無二にして不可侵であるべきものである。
このようなことがいえるのではないでしょうか。
次回も目標設定について書きたいと思います。
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