投稿日:2020年06月22日

【札幌 弁護士コラム】閑話休題:荒木の詳細プロフィール①

おはようございます、荒木でございます。

今日は朝からコンサル(受けるほう)、午後からM&Aの関係での銀行訪問、新規のご相談、夜は大学のOB会です。

さて、ここしばらく私(荒木)の業務のことを書いてきましたが、今回からしばらくちょっと毛色を変えてみます。

 

先日、プロフィールに関するセミナーを受講した関係で、改めて自分のプロフィールを作成しております。

作り始めるととんでもない長さになってきましたので(汗)、小出しにして掲載していきたいと思います。

(ドラフト段階ですので、全体が完成してブラッシュアップされましたらしかるべきところに載せる予定です。)

 

まずは幼少期~高校までの部分です。

 

何も反応がないと切ないので、一番下の感想投稿方法に従い、是非ご感想をお寄せくださいませ(滝汗)。

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1.幼少期

私は、昭和57年(1982年)、三重県上野市(現・伊賀市)に生まれました。両親は両方が公務員という一見、堅そうな家。5歳上の姉がいたこともあって、おとなしく(おとなしくさせられた(?))幼少期を過ごしていた模様。その影響があってか、何があっても簡単に弱音を吐かない忍耐力がこの頃から養われることになりました。母曰く、「小さい時から何かと鋭く、ミルクを飲んでいるときにも何やら味に不満を持っていそうだった。」とか(笑)。

幼稚園のころには、親に教えてもらった関係で将棋のルールを覚え、幼稚園に将棋盤を持って行って他の子どもにルールを教えていました。ルールを覚える早さでいえば羽生善治と同じくらいのタイミングでした。そのまま将棋の道を邁進していれば、将棋界で名を馳せていたのかも知れません。

うっすらとしたとですが、ひらがなをようやく書けるようになったころに、なぜか一生懸命、自分の名前をアルファベットで書いていた(シールのようなもので貼っていた)記憶があります。これもそのままの感覚で生きていたらもう少し国際感覚のある人になっていたのかも知れません(笑)。

しかし、今振り返ってみれば、「他人と同じではない何かユニークなことをやりたい」という思いが人一倍強く、ある意味でクリエイティビティのある子どもだったのかも知れません。

 

2.少年期

(1)小学生時代

小学生時代は、内向的で、自分の言いたいこともあまりうまく表現できない少年でした。しかし、その割には行動力だけはあったようで、学校の部活動とは全く関係なく、野球チームを作って試合を企画したり、家でもそれまでやっていなかったバーベキューを企画したりしていました。この頃から「何かやってみたい精神」というものはあったのかも知れません。

また、将棋を(ある程度)本格的に始めたのも小学生の高学年ころからで、公民館に集まって大人たちと(同世代は全くいません。)朝から晩まで将棋を指していました。この頃は、「分煙」など全く気にしないような時代で、もくもくとタバコの煙が蔓延する中でひたすら盤上に集中していた記憶があります。集中力は相当なものがあったようで、めきめきと実力を上げ、中学に上がる頃には地域でトップを争う実力を持つようになっていました。「考える力」というのはこの頃にものすごく養われたように思います。

一方で、小学生の頃に何故か魚へんの漢字に興味を持つようになり、辞書に載っている魚へんの漢字を全て覚えていた記憶があります。当時から「探求心」や「調べる力」はあったということなのでしょう。また、ある意味で「収集癖」や「マニア体質」というのもあったのかも知れません。この辺りは今思うと弁護士業としては必須の能力ですね。

 

(2)中学生時代

中学に上がってからは、野球部に入り、将棋との二足の草鞋を履くようになりました。野球のほうはというと、とんと才能が有りませんでしたが(涙)、結果的にはこのころにそれなりに厳しく運動していたことで今に至る体力が付いたように思います。また、2年生の後半からはなぜか(内向的な性格にもかかわらず)キャプテンを務めることになり、「リーダーシップ」を取ることの原型を掴むことができたように思います。将棋のほうでは市の大会で優勝するなど、才能の片鱗を見せていました。

勉強のほうは、特に頑張ったということもなく、塾に通っていたわけでもありませんでしたが、そこそこにできていたため、学年で30番程度の中には入っていました(と、いっても田舎の公立中学校なのでまるで凄いものではありません。)。

 

(3)高校生時代

そんなわけでそこそこの成績があったため、一応は進学校に進むことになりました。進学校というと聞こえはいいかも知れませんが、一応の入試はあるにしても倍率はほぼ1.0倍。願書を出してそれなりに答案を書けばまず受かる程度の高校でした。高校に入っても特に勉強をするインセンティブはなく、野球もやっていなかったため、帰宅部として自宅で将棋の研究をしたり、テレビゲーム(マリオカートとダビスタとぷよぷよ(笑))をひたすらやるという生活でした。なぜか自宅では麻雀が許されていたため(今思うとなかなかの家庭ですね。)、賭けていないという前提のもと、ちょくちょく友人らと麻雀をやっていたような記憶もあります(学校でもやっていて、何度か摘発されたこともあります(汗)。)。将棋に関していうと、それなりに頑張っており、1度ではありますが、高校生の全国大会にも出場し、大人を交えたアマチュアの公式戦で県大会ベスト4に進出したこともありました。当時はそこまで大してことではないと思っていましたが、このように記録に残るというのは「成功体験」としていまでも刻まれている体験になっています。

高2までまるで受験勉強なるものはやったことがなかったのですが、高3のGW明け辺りに受験を意識するようになって、今考えると恐ろしい話ですが、「さすがに東大京大は難しいんだろうけど、この一橋とかいうマニアックなところなら何とかなるんやない?」と思って第一志望の大学に設定しました。当時、本当に一橋がどんな大学か1ミリも知りませんでしたし、偏差値のシステムというものも十分に理解していませんでした。ただ単純に「上から3つ目に書いてある大学」ということで選ぶという暴挙に出たわけです(笑)。本当にふざけた大学選びですね…。

しかし、一旦、受験勉強となれば、それまでに自然に養ってきた「集中力」や将棋で得た「成功体験」が力を発揮しました。高3の夏前から始めた受験勉強でしたが、朝から晩までやるという感じではなく、朝は早くから(5時ころから)やっていたものの、昼頃まで学校に行き(受験期間中は半日授業でした。)、帰ってきたら一息ついて夕方までゲーム、夕方から夕食までちょっと勉強、夕食を食べてバラエティー番組を見てから、ちょっと英単語を覚える、程度のことしかやっていませんでした。この程度のことしかやっていなかったら普通の親なら気が気でないのかも知れませんが、荒木家の放置ぶりはものすごく(笑)、誰もこの生活スタイルに口を挟みませんでした(祖母は少しは心配していたようですが。)。

しかし、予想に反して運よく成績は順調に伸び、秋口には名前を知っているだけの(笑)一橋大学の合格ラインの成績に届くようになりました。三重県の高校でしたので、一橋大学志望者など他にいるはずもなく、完全に孤独な闘いでしたが、そうであるがゆえに「一人の独自路線でもブレずに頑張れる」という能力も身に付けられたように思います。

最初は経済学部を志望していたはずでしたが、センター試験終了後になぜか思い立ち、法学部志望に転向することになりました。「数学が苦手だから」と担任の数学の先生の前でぬけぬけと言ったような気もしますが、本当のところはよくわかりません。当時は弁護士を意識することもなかったのですが、受験予備校が出していた職業ガイドブックのようなものに「弁護士というのはハンコを押していたら3000万円はもらえる」といったような記事が書かれていたため(絶対に妄想で補っていますが、それに近い認識はありました(笑)。)、弁護士に意識が向くようになったのかも知れません(あ、「守銭奴!」とか「金の亡者!」とか言わないでください(笑)。)。3000万円という数字に惹かれたというよりも、当時は職業というものに対して何の知識もなかったため、単純な数字の比較ぐらいしか判断要素がなかったのでしょう。実に何も考えていなかったことが思い起されます(汗)。

そんなこんんでようやく、法学部→(うっすらと)弁護士というキャリアが見えてきたのがこの時期でした。

(続く)

 

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