こんばんは、荒木でございます。
今日は朝から体のメンテナンス、
午後は前から観ようと思っていた
黒澤明監督作品をAmazonプライムで
見られる範囲で古いものから見始め
ました。
今日は「羅生門」と「生きる」でした。
私(荒木)は普段からそれほど多くの
映画を観るわけではなく、話題作で
あったり、自分の興味関心のある分野で
あったり、自分の興味関心のある人が
リコメンドしている作品を観る程度
ですので、1年間で10本観るかどうか
といったレベルです。
ですので、映画について何か講評したり、
含蓄のあるようなコメントができるような
立場にあるわけではございません。
あしからず。
そんなことなのですが、言わずと知れた
「世界の黒澤」の作品については、
何が凄いのかを知るべく、観てみようと
おもっていたところ、幸か不幸か
外に出られないご時世になってしまい
ましたので、順番に観ていくことに
しました。
「羅生門」も名作と言われるだけあって、
刺さる部分がありましたが、「生きる」の
ほうは現代社会においても、
「全くそのとおり!」と
思わず膝を打つような作品でしたので
そのことを書いてみたいと思います。
※以下、ネタバレありですのでご注意を。
この「生きる」が公開されたのが昭和27年、
1952年のことです。
舞台はとある市の市役所、主人公
(渡辺)はその市の
市民課長、という極めて地味な設定。
しかも渡辺のキャラ設定がまた地味。
主人公は30年間市役所に勤めるも、
今となっては単にハンコをつくだけの
閑職であり、ことなかれ主義を地で行く
ような生活を送っていました。
そんな渡辺がある日、胃がんを宣告され
余命が1年もないことを知ります。
そのときから渡辺は色々とあって、
真剣に仕事に取り組むようになって、
最終的には地域住民の陳情を受け入れて
地域に公園を作ることに成功した、
という話です(また公園を作るというのも
結構に地味ですが…。)。
この映画は私(荒木)から見れば、
祖父が働いていたような時代、
すなわち2世代も前の話ですが、
労働者のマインドがそのころと
変わっているのかというと
まぁ何も変わっていません。
要素を抽出するとすると、
・事なかれ主義
・前例主義
・縦割り行政(組織)
・受け身の姿勢
・改革に対する抵抗
・主体性の欠如
・責任転嫁
・上意下達
といった要素がその当時から
見受けられていたことを知りました。
また、この映画の最後には、この渡辺の
死によって感化された同僚が
「一生懸命やるぞ!」的な決起を
行っているのですが、それもすぐに
元の木阿弥に戻るようなシーンも
描かれています。
コロナの陰に隠れてしまっていますが、
最近まで働き方改革が叫ばれ、いかに
労働生産性の向上を図るかが課題と
されていましたが、この映画を観ると
70年前から同じ問題があったのであり、
(何も)進歩していない現代が
あるということに気付かされます。
これを観ると、ITツールを使ったり、
雇用の仕組みをいじった程度では
本当の労働生産性の向上といものが
図れない、ということが分かるのでは
ないかと思います。
労働生産性の向上を図るとするならば、
相当な覚悟を持たなければならず、
「断行」する精神が必要なことが、
この映画を通してご理解頂けるのでは
ないでしょうか。