こんばんは、荒木でございます。
今日は、事務所の顧客管理システム
の導入手続を行った後、読書に
勤しんでおりました。
明日から新しい一週間ですが、
コロナの影響で先行きを見通すのが
難しいご時世ですね。
さて、自粛自粛といわれている
こともあり、それ以前に働き方改革
なるものが叫ばれていることも
ありますが、どうも泥臭く、
チマチマと努力することが
表立って評価されない世の中に
なってきているように思います。
何かを変えようと思えば、二言目には
「ITを活用すれば…」とか、
「AIを用いて…」とか、
「時代はIoTですから…」とか、
そんなことばかり聞かれるようになり、
なにやら努力することが馬鹿らしい
ようにすら聞こえてきています。
このような風潮が強まってくると、
例えば司法試験にせよ、
やがて弁護士になってもAIにとって
代わられる、といいう意識があれば
チマチマした勉強などに魅力を
感じなくなってしまいます。
しかし、世の中を成り立たせている
ものは、過去の人類の英知であり、
昔の人のチマチマした努力の
賜物であることは疑いようも
ありません。
その現実に目を向けるならば、
現代においてもチマチマした努力に
対して、否定的な見方をしたり、
小ばかにするような態度は
見受けられなくなるはずです。
それにしてもチマチマした努力を
認めたがらない風潮というのは、
しばらくのところ止みそうに
ありません。
その理由というのは一様ではない
かもしれませんが、一因として
考えられるのは多様性が
認められるようになったことに
あるのではないでしょうか。
ひと昔前は、一定の尺度、すなわち
いい大学、いい就職先といったものが
確立していた社会であり、それらに
所属することがステータスになって
いました。
そして、それらに所属するためには
みな一律の要件が定められており、
それに向かってよーいドンをするのが
社会の常識でした。
しかし、現代においては、
いい大学に出ておらずとも、
いい会社に勤めておらずとも、
自己実現が可能になったり、
少なくとも大金を手にしたりできる
例が身近に存在する世の中に
なってきています。
それ自体は否定するべきものでは
ありませんが、
「努力なしでも一山当てれば
何とかなる」といったような
空気が蔓延しているようにも
思われます。
「チマチマした努力をしましょう」
というキャッチフレーズがおよそ
流行るような世の中ではないですが、
現代においてもチマチマした努力が
果たしている役割というのは
絶大であるはずです。
時にはチマチマした努力を見返し、
評価してあげることも大切なの
ではないでしょうか。