投稿日:2020年04月18日

【札幌 弁護士コラム】議論の前には「共通言語」を探そう

こんにちは、荒木でございます。

 

昨日は新規の事業承継のご相談の

続編のご相談でした。

これから具体的に着手していきますが

大変やりがいのある案件になりそうです。

また、裁判所は緊急事態宣言を

受けて、次々に期日が延期になって

参りました。

来週の予定がスカスカになってしまい、

ここでいかに次のステップにおける

貯金作りができるか、真価が問われる

状況となっています。

 

さて、最近のコロナ騒動を見ていても

思いますが、「議論がかみ合う」という

のは実は簡単なことではないように

思います。

それというのも、議論があるという

ことは、それぞれの当事者において

何らかの「正義」があり、その「正義」

の内容が異なるからこそ

生じるものです。

 

一方で、議論が成立するためには

「共通言語」が必要になります。

第一段階としては語学の問題があり、

日本語と英語では議論が成立しません。

しかし、語学の問題がクリアできたと

したら全てが解決するわけでは

ありません。

すなわち、論理的な意味での「共通言語」、

言い換えるとすればが存在しないので

あれば、やはり議論は成立しないです。

 

それも語学の問題であるならば、

日本語なら日本語、英語なら英語で

一致すればいいのですが、

その他のパラメーターについても

一定の「共通言語」が存在しなければ

議論が成立しません。

そのようなパラメーターは無数に

存在します。

例えば、宗教観、倫理観、損得観、

経済観、公平感、スピード感、等々

です。

 

このようなパラメーターの中に、

法律観というか、法律に対する素養も

含まれてきます。

法律家は、やはり法律ばかり使って

きていますので、当然、法律に

おける議論を重視しようとします。

これが法律家同士であれば基本的には

合致するため、議論が進められる

わけです。

 

これが、法律家と素人の人が議論する

となるとハチャメチャなことになることが

往々にしてあります。

あるあるでよくあるのが内容証明郵便。

弁護士は、何かの請求があると

内容証明郵便を送りつけるのが普通です。

これ自体は時効を止めるような機能しか

ないので、弁護士としては気軽な気持ちで

送っているわけなのですが、受け取った

側からすると、

「訴えられた!」、

「差押えされる!」、

といったような強迫観念に駆られる

ことになります。

 

さらに、弁護士の名前が5人も10人も

並んでいると

「脅迫だ!」

といったような反応をされるような

こともあります。

(実際には1人でも10人でも100人でも、

効果として違いはありません。)

 

そんなスタートラインからまっとうな

議論がなされることは少なく、大抵は

一般の人の側が弁護士を付けてから

法律の議論に至ることになります。

しかし、ここで弁護士が誤解しがち

なのが、法律の素養がないことをもって

「あの相手方は全くわかっていない。」と

考えることではなかろうかと思います。

 

弁護士は、自分の土俵である法律論に

持ち込めばまずは素人の人には

負けませんが、法律論にするのが

全ての場面で正しく、それ以外の議論が

ナンセンスであると考えがちです。

確かに、状況が煮詰まっていて

法律論でバシッと決着を付けなければ

ならない問題もありますが、私見では

その割合は決して高くはないように

思っています。

(感覚的には3割以下ではないかと

思っています。)

 

そうであるとすれば、相手と議論を

するためには、どのような共通言語で

話をするかをまず決めなければ

ならないのであり、法律論は

共通言語のうちの1つであるという

位置づけを忘れてはならないように

思います。

 

正義は無数にあり、共通言語も無数に

あるはずである。

 

このような想定に立てば、必ず

分かり合えるとまではいわないものの、

少しはまっとうな議論ができる余地も

増えるのではないでしょうか。