こんばんは、荒木でございます。
今日は朝から個人コンサル(受けるほう)、
つなぐ相続アドバイザーズの打合せ、
スタッフとの1on1ミーティング、
新規のご相談案件と、それなりに
予定が入っていました。
コロナウイルスの影響なくフルフルで
業務に勤しんでおります。
全国に緊急事態宣言が出るなど、
暗い話ばかりですが、ビジネスに
精を出すことも一つのコロナ対策と
信じて邁進していきたいと思います。
さて、返す返すも自らの目標設定
というのは一様ではなく、かつ、
容易なものでもありません。
それというのも高すぎてもダメ、
低すぎてもダメ、というような
構造が存在するからです。
高すぎてもダメ、というのは
リアリティを持って取り組めるような
目標になっていなければ本当に
気を入れて取り組むことができない
からです。
目標は高くなければ意味がない
というのはその通りですが、一方で
目標だけが羊頭狗肉よろしく、
掲げているものになっているだけでは
実現可能性がなければ意味をなしません。
一方で目標が低ければどうなるかと
いうと、すぐに達成されてしまい、
何らこころの中にインパクトを与える
存在になりません。
そうすると、何ら自らを鍛えたり、
躾けたりすることなく達成してしまい、
その目標を乗り越えた後の再現性が
認められないことになってしまいます。
この意味で目標の高さのさじ加減
というのは本当に難しいと思います。
また、「目標をいくつ掲げるか」、
翻意するのであれば、
「目標の相互間の関係をいかに
規定するか」というような
問題も一方では存在します。
高い目標を掲げるのであれば、
いきなりそこまで到達する
ことは難しく、どこかで中間目標の
ようなポイントを設けることが
必要となってきます。
そしてそのポイントは多ければ
多いほうが良く、その中間目標が
あるからこそ、やる気と手数が
増えるという現象が起こります。
もっと言えば、ポイントが一足
刻みで設定されていたら
どうなるでしょうか。
おそらくはその一足刻みの足跡を
辿るような形で目標の全体像を
達成することになるでしょう。
目標設定とその内面構造について
少しコメントしてみました。