こんばんは、荒木でございます。
今日は、北海道M&A協会の打合せ、
裁判の期日、夕方に顧問先様の
ご相談に伺いました。
今後の予定といえば
キャンセル、キャンセル、web会議、
キャンセル、キャンセル、web会議、
キャンセル、キャンセル、電話会議
といった感じです。笑
今日は初のweb飲み会を体験して
きました。
さて、こんなご時世だからこそ、
ビジネスの本質が見える部分もあるように
思っています。
例えば、ドラッグストアに対する
カスハラ。
マスクはないのか、消毒液はないのか、
何でないのか、ここで使っていないのか、
こっちは困っているんだ、的な物言いで
店員にせっつくというような問題です。
この根底には、「金を払っているんだ」
といった顧客心理に加え、顧客側にも
焦りや不安が重なったからこそ
こういった現象が生じるのではないかと
個人的には分析しています。
では、根底となる「金を払っているんだ」
というところは取引の本質的としてはどう
なのでしょうか。
そもそも、取引の基本というのは物々交換
にあったはずです。
すなわち、手元にある資源で余っている
もの同士を、相手の余っているものと
交換するといったことが取引の基本形態と
して存在しました。
ここで、物同士は単価も違い、主観的な
価値も異なることが大前提となって
いたことと思われます。
その中で価値の均衡が保たれなければ
取引は成立しなかったはずです。
そのことは貨幣経済が発達した後も
同様であったはずです。
すなわち、一定量の貨幣に見合った価値の
あるものを提供すれば取引が成立し、
それの均衡がとれなければ取引は
成立しない、ということが根本に
あります。
このことは、本来的に貨幣を持っている
者が有利であり、商品やサービスを提供
する者が不利であるということを
意味するものではありません。
貨幣を持っている者は、その貨幣以上に
価値のある商品やサービスでなければ
購入しないということが根本原理に
あるからです。
ここでは「価値の等価交換」というものが
起こっており、等価と考えられなければ
取引は起こらないことになっています。
しかし、現代社会においてこのことは
あまり意識されなくなってきています。
すなわち、お金を出している人が偉い、
といった風潮が強まっているように
思われます。
本来的に等価の価値交換でなければ
取引が成立しないという前提に
立つとすれば異常な事態であることは
すぐにわかるはずです。
しかし、なぜか金を払う立場のほうが
強い立ち位置に立つというのは
原則から考えると悪習としか言いようが
ないことです。
一方で、そのような流れであるからこそ
お金を払う立場であっても、
その先の方を尊重し、敬意を表し、
大切にする人や会社というのは
素敵だと思いませんか。
私(荒木)は少なくとも、
私(荒木)がお金をお支払いする人や
会社を大切にしたいと思いますし、
私(荒木)が上であるというような
意識を持たずに接したいと考えています。
この話は極めて受け止め方の個人差が
大きい話だと承知していますが、
お金を払った先の人を大切にされる人は
それだけで尊いものと感じています。