こんばんは、荒木でございます。
今日もカフェで読書の一日でした。
かなり読書が進み、このような
週末も悪くないと思った
次第です。
さて、このブログを書いている意味は
何か、ということを改めて考えてみると、
実はかなり複合的な意味を持っている
ことがわかってきました。
もちろん、これをお読みになって
頂いている皆様からすると、
「荒木が何かしらを発信している。」
とご覧になっているのが当然です。
しかし、実は(というか、特に隠し立て
するわけではありませんが)、私(荒木)
としてはかなりたくさんの意味合いを
持っています。
その1つで大きな意味を持つのが
「当たり前のことを言語化する」
というプロセスです。
周囲に対して文字であれ、発言であれ、
自らの脳内を定期的に棚卸しして
発信されている方はおわかりになると
思いますが、脳内の言語を
外部に出すということはそう簡単な
ことではありません。
言語化をする過程で、
「あれ、これって考えていたことと
違うのでは?」
とか、
「考えていたことがうまく
表現できていないな…。」
といったことが頻繁に起こり得ます。
これこそが言語化をする最大の
メリットなのではないかと思います。
すなわち、脳内で言語を回している
分には普通だと思っていたことが、
いざ外部に出そうとすると違和感の
塊のような感覚になることも多く、
これによって「普通」を疑うことが
できるようになります。
例えば、このブログでも何回も
取り上げてきたのが「メタ認知」の
問題です。
自分では当たり前と思っていること
であっても、他人から見たら
違和感満載であったり、
余計なお世話であったり、
却って迷惑なことであったり
するわけです。
こういったことを文字で表現しよう
とすると書いている途中で違和感を
生じます。
このようにして自らのバグを潰すという
ことが発信する過程で頻繁に起こります。
(自らの思考過程を表現するような)
ブログを書いたことがない方、
是非、一度、ご自身が「普通」と
思っていることを書いてみて下さい。
それだけでも何かしら(というよりも
多くの)気付きがあるのではないでしょうか。