こんばんは、荒木でございます。
今日は一日、予定がないという
珍しい日で、昨日入った新しい
スタッフとのすり合わせなど、
有意義な一日とできました。
さて、新型コロナウイルスの影響が
取り沙汰されない日はない状況ですが、
一方で自らのなすべき道を明確に持ち
ブレない生活を送っておられる方も
数多く存在します(するはずです)。
もちろんこういった方もコロナの
影響を全く受けないわけでは
ありませんが、強く影響を受ける人と
のギャップを意識し、この状況を
むしろチャンスととらえている人
ではないかと思います。
コロナの影響は全く持って外的要因
であり、普通の人には全くコントロール
できない事象です。
(自分が罹らない対策は可能で
しょうが。)
その上で、この外的要因をいかに
断ち切れるか、というのは判断力に
かかってくる部分になります。
例えば、日々の情報をどの程度まで
取り入れるか、というのも一つの判断
です。
この情報化が発達した世の中ですので
情報を仕入れようと思えばいくらでも、
際限なく仕入れることができます。
しかし、仕入れた情報をいかに自らの
生活に役立たせるか、ということに
なると実は、はたと手が止まって
しまう人ばかりなのが現実です。
そういうことは、このコロナという
外的要因によって行動の中に、
自らの人生や生活において
役に立たない、ノイズともいうべき
情報を数多く取り入れてしまって
いるということになります。
無駄な情報を得るだけならまだしも、
その情報を取り入れるための時間や
労力を浪費しているということが
指摘できます。
また、個人でそのようなロスが
生じるだけならまだしも、このような
ロスは連鎖し、集団的な空気を
醸成している部分が否めません。
「この状況だから、働けなくて
当然だよね」とか、
「こんなときに頑張って感染したら
どうするの」とか、
「安全第一だし、コロナが終わったら
何とかなるんじゃないの?」
といったような空気感がそこかしこで
漂っているように思われます。
一個人として考えた場合、現在の課題は
このような空気感の中でいかに自らを
平常運転させるか、ということに
尽きるのではないでしょうか。
世の中が、外に出ない、働かない、
という方向に空気を持ってきている
わけですので、(安全を確保したうえで)
普段通り外部との接触を持ち、
バリバリと働けるのであれば、
それこそコロナの影響が出ている
期間に比例して周囲との差が生じる
ことになります。
すっかり自粛ムードが定着しては
いますが、どこかでそれを疑ってかかる
姿勢を持っておかなければならないと
思う今日この頃です。