投稿日:2020年04月01日

【札幌 弁護士コラム】民法はわかりやすくなった!?「誰のためにやるか」という気の持ち方

こんばんは、荒木でございます。

 

4月に突入しました。

普段であれば年度の切り替わりの時期

ということで気分も一新するのですが、

新型コロナウイルスのせいもあって

どうもスッキリしませんね。

とはいえ、今月も元気を出して

いきましょう!

 

さて、民法大改正の話を続けますが、

今回の改正の大きなテーマの1つが

「国民に法律をわかりやすくする」

という命題があったようです。

しかし、ふたを開けてみたら、

「???」

という感じ。

やはりどう逆立ちをしても専門家に

しか民法のルールを読み解くことは

できません。

なぜこのようなギャップが生まれたの

でしょうか。

 

そもそも、法律の条文の建付けは、

理論そのものを示すのではなく、

理論から導き出されるルールの

末端を小出しにしていくような

定め方になっています。

(ここで理論とは背景にある考え方で、

今回、契約自由の原則が示され

ましたが、以前はありませんでした。)

しかし、では理論を載せればいいか、

というとそうではありません。

そうすると分厚い法律書が出来上がる

だけになってしまいます。

 

そもそも論として

「国民にとってわかりやすい」

とはどういう意味なのかをまずは

考えておく必要があります。

一般市民に思いを致すとすると

以下のようなことが見えてきます。

 

・普段は全く法律などに意識が

向いていない

・難解な言葉遣いをする条文なんか

読みたくない

・長い条文など読む気すら起こらない

・目の前の本件についての結論を

教えてほしい

・できれば自分に有利になるような

法律にしておいてほしい。笑

 

おそらくこのような感覚は民法改正に

携わった人たちにはあまり共有されて

いないのかもしれません。

 

今回の民法改正で分かりやすくなった

のは、法律のプロが見て、判例を

引っ張り出してこなくても条文を

読めば結論が導ける、というレベルの

話であって、決してあまねく人が

条文を読んでルールを理解できるように

なったということを意味しません。

 

物事は何でもそうですが、

「誰にとって」

という部分は極めて大切な意味を

持つ場合も少なくありません。

 

「誰にとって」を

常に意識しておけば大きく外れた

行動を取らないでしょうし、

人から感謝され、喜ばれる行動が

取れるようになります。

 

「誰のための民法改正だったか」

といわれないためには実務家である

我々も頑張らなければならない

ですね。