投稿日:2020年03月31日

【札幌 弁護士コラム】「過ちて改めるざる、これを過ちという。」を実体験する

こんにちは、荒木でございます。

 

昨日は、朝から改正民法の対応、

午後はお客様との面談、夜は

ロータリークラブの会合でした。

 

さて、孔子の言葉に

「過ちて改めざる、これを

過ちという。」

というものがあります。

つくづく含蓄のある言葉だと

いつも思っています。

 

失敗を犯してはそれを反省し、

同じ過ちを二度起こさなければ

徐々に過ちの範囲は狭まっていき、

どんどん自分が思う方向に

近づいていける、ということが

いえます。

しかし、同じ過ちを二度起こさない、

というのはそれほど容易なことでは

ありません。

 

それというのも人間は敢えて意識を

しなければ習慣に流されてしまう

生き物だからです。

一度、意識を向けて直したものでも

常に意識し続けなければ習慣は

変わりません。

 

そして、何か過ちを犯すのは、

瞬時の判断であり、じっくりと

吟味して判断をするような

場面でないことが大半です。

そうであるからこそ、再現性高く

行動を改めることが難しいのです。

 

しかしながら、行動を改めるために

過ちが必要という考え方もできます。

何かにチャレンジをしなければ

失敗はありませんが、新たに改める

べきもののタネも見つかりません。

その意味では過ちを肯定的に

解することもできるわけです。

 

過ちといかに向き合うか。

 

これをどう考えるかが人生の改善への

第一歩なのではないでしょうか。

 

そんなことを書いてみたのは、昨日も

フラフラと三次会まで参加して

しまったことへの反省を込めてで

あることをここに自白します。笑