こんばんは、荒木でございます。
今日は、朝からお灸と散髪と
いうことで自分メンテナンス。
午後は残務処理でした。
明日は日曜日ですが、引き続き
残務を行って第二領域につなげます。
さて、物分かりのいい人のことを
「一を聞いて十を知る」
といいます。
本当に一言いえばわかってもらえる人は
重宝されるものです。
理解力が高いことはそれはそれで
素晴らしいのですが、さらに凄いのが
「一を聞いて十を語る」
ことができる人です。
これは単に弁が立つということであったり、
はったりがうまいといったようなこと
だったりするわけではありません。
何らかの鍵刺激があれば、それまで蓄積
されてきた知識や経験を再起動させて
関連した情報を交えて話に肉付けし、
相手に語ることができるという能力です。
この能力があれば、いついかなる場面でも
コメントに困ることはありませんし、
相手に対する説得力が強くなりますし、
何よりも語ることによって自らに対する
フィードバックの機会が多くなることから
自然に自らの成長を果たすことが
できます。
これができる前提として、
間違っているかも知れないことを
過度におそれないマインドセットが
必要です。
法律家がこんなことをいうのも
何ですが(汗)、世の中において
正しいことが論証されている論説が
どの程度あるかというと、相当に
少ないことは間違いありません。
(このブログもですが(滝汗)。)
その上で、間違うこと、叩かれること、
炎上することなどを過度に恐れすぎて
他人の論説に唯々諾々と乗せられて
しまうほうが誤った道に進みますし、
自らにとって不利益になって
しまいます。
それより、仮に反論を受けるとしても
何かを発信することのほうがよっぽど
価値が高いことなのです。
「弁護士は戦う仕事」ということも、
言われたりしますが、私(荒木)は
戦う仕事だとしても、目に見える
訴訟などの相手方と戦う仕事では
なく、惰性や雰囲気や空気感で
成り立ってきた社会や会社の構造と
戦うことが弁護士の仕事なのでは
ないかと考えている節があります。
しかし、弁護士業界も「村社会」が
あるせいなのか、年嵩の弁護士の
意見が正しいとする雰囲気があったり、
謎に申立てや主張の取下げや撤回を
求める雰囲気があったりする業界に
なっていることは否めません。
こういった現状であるからこそ、
「一を聞いて十を語る」
ような人が必要とされているのであり、
貴重な存在であるといえます。
一朝一夕には難しいことかも
しれませんが、間違っているかも
知れない場面に対して突き進んで行く
べきであるという覚悟を持つことは
必要なことではないでしょうか。