こんばんは、荒木でございます。
今日は非常事態宣言が出ているという
ことで(?)久しぶりに、全く目先の
仕事に手を付けない1日を過ごしました。
昼間、ラーメン屋とスーパーと
ホームセンターとブックオフに
出かけましたが、人はいつもより
やや少ないくらいで、それほど大々的に
自粛している雰囲気でもありません
でした。
(ちなみに私(荒木)は全く自粛する
つもりはありませんでしたが。笑)
どうも先日来、政策批評をしている
雰囲気になってしまっているように
思われてしまうかも知れませんが、
あくまで私(荒木)が申し上げ
ていることは個々人としてどう考える
べきかであり、特定の政策的意見を
世間に述べるつもりがないことを
改めて申し上げておきます。
さて、その前提で感じるのが、
政策批評のあり方です。
繰り返し申し上げておくと、私は
安倍政権についても、
鈴木道政についても、
この場でその政策が正しいか
どうかを批評するつもりは
ありません。
但し、政策に対するリアクションの
仕方として妥当であるのかどうかに
ついて論じる、という趣旨のもの
です。
その点において考えるべきなのが、
人がコントロールできる範囲と
全能性についてです。
政策批判のよくあるやり方として、
「○○という問題が起こったのは
政策が悪いせいだ。」
という論調があります。
しかし、これは結局のところ、
全ての事象に対して政権の
結果責任を問うことになります。
それが正しいかどうかという意味では、
現状の状態が生じた事に対して、
過去の政策決定との因果関係の
論証は不可能である、ということに
思いを致さなければなりません。
すなわち、現在コロナウィルスの
患者数が約1000人程度となって
いますが、逆にどのような政策を
取っていれば何人になったか、
ということは(仮に推測値が
出せるとしても)、論証は
不可能です。
このような議論になりがちな原因は、
「政権はすべての事象をコントロール
することができ、完全な解を得る
ことが可能である。」という前提を
持っていることにあるように
思います。
しかし、今回の件を例に取ると、
医学的にも新型コロナウィルスの
特徴が明確ではなく、専門家によって
意見が分かれているなかで、
どのような対策がベストであるかを
確定させることは非常に困難な
ことであるはずです。
その上で、仮に一番患者数を少なく
できる政策がベストかというと
そうではなく、国民に経済負担を
強いず、かつ経済活動を弱めない
など、他のパラメータとの相関性に
おいて意思決定を迫られることに
なります。
そう考えてみると、結果論からみると
政権がベストな選択を取り続ける
ということはおよそ
「無理ゲ―」
であることがわかるはずです。
では何で判断すべきか、ということに
なりますが、参考になる話としては、
「経営判断原則」
というものが法律論にあります。
これは、会社法において、取締役が
善管注意義務(会社のためにきちんと
働く義務)を尽くしたかどうかという
1つの基準になっていますが、
(1)前提情報の正確性
(2)判断プロセスの的確性
の2つの要素を満たしているか
どうかによって判断するという
基準です。
これが政策決定においても完全に
妥当するのかどうかはわかりません。
しかし、仮にこれが妥当するとすれば、
何の根拠や判断過程の説明もなしに
非常事態宣言を出した鈴木知事の決定が
肯定されるわけがないわけですし、
逆に、これに当てはまる形で
政策決定がなされたとするのであれば、
患者が1000人になったことが直ちに
非難されるものでもなくなります。
いずれにしても、政権を含めた他者が
全てをコントロールできるような
全能性を持っている、と想定することが
多くの場合でボタンの掛け違いが
生じる原因となっているように
思われます。
自分は全能ではないし、
他者も全能ではない。
そう考えることができれば少しだけ
世の中が平和になるように思いますが、
いかがでそうか。