投稿日:2020年03月01日

【札幌 弁護士コラム】非常事態宣言と理性的な行動の乖離とは

こんにちは、荒木でございます。

 

昨日は非常事態宣言が発令された

ということで朝から多少の買い物を

して、事務所で仕事でした。

 

既に何度か書いていますが、

新型コロナウィルスってそんなに

怖いものなのでしょうか?

って話ですが、去年のインフルエンザの

類型患者数1200万人、

死亡者数3400人という数字を見て、

新型コロナの感染者数1000人弱、

死亡者数10人弱という状況で

「何が非常事態なのか?」

と思わずにいられません。

 

<国立感染症研究所>

https://www.niid.go.jp/niid/ja/flu-m/flu-iasrtpc/9227-477t.html

 

世の中的には北海道知事の英断で

あったと称賛する声が強いようですが、

物事には何でも裏表があるわけで、

感染拡大に関する措置としては

有効であったとしても、

経済活動や市民の自由の制約に

多大な影響を与えていることを

加味しての評価といえるのかには

重大な疑問があります。

 

私(荒木)には病気のことについても、

政治のことについても語る資格はないと

思ってはいますが、個々人の意思決定に

ついてはこのようなことでいいのか、

と思わざるを得ない部分があります。

 

大きなところで上げるとすれば

「不安に対する耐性」

といったものです。

 

人には生存本能がある以上、

自らの生命や健康に対して危機が

訪れたときには自然とそれを

回避しようとする機能が

備わっています。

そうである以上、今回のような

事態となり、情報が入ってくれば

何らかの防衛策を行おうという

行動に出るのも無理からぬことです。

 

しかし、それが本能のままに動くのが

全て正解であるかというとそうでは

ありません。

人は、社会的存在である以上、

社会秩序を乱す行為は許されないわけ

ですし、長期的な視点を持って

行動しなければならないわけです。

そうであるとすると、何らかの

リスク要因が発見されたとしても、

それを回避することだけに目を向ける

だけではいけないわけです。

 

例えば、今般のトイレットペーパー騒動。

確かにトイレを使うのに困るという

リスクは回避できるでしょうが、

社会的秩序を保っているものか、

長期的に見て必要な行動か、

という点の検証があったといえる

でしょうか。

 

本能的にリスクを回避するため以外の

原理に基づいて行動を検証するためには、

理性が必要になります。

理性を養うためには知識と教養が

必要になります。

 

リスクが顕在化したときこそ知識と

教養の重要性が明らかになるはず

なのですが、どうも今回の件でも

オイルショック時代と同じことが

行われているのを見るにつけ、

知識と教養の水準が上がっている

ようには見受けられません。

 

少なくとも各個人として、

自らの行動が理性的な行動であるか、

見直してみることは必要なこと

なのではないでしょうか。