投稿日:2020年02月28日

【札幌 弁護士コラム】最悪を想定して行動する:主観と客観の切り離しの大切さ

こんばんは、荒木でございます。

 

昨日は朝から顧問先様のご相談が1件、

M&A関係でアライアンス希望の会社様の

ご来訪が1件あった後、午後に裁判の

期日が1件ありました。

本来はもう1件あったのですが、

準備が進んでいなかったのとコロナを

心配して期日が延期になりました。

 

さて、世間は新型コロナウィルスの

話題で持ち切りなわけですが、先日

書いたように私(荒木)はさほど

過剰には心配はしていません。

とはいえ、報道を見ているとイタリア

などではスーパーから物がなくなる

などしており、事態が深刻に

なってきている様が明らかです。

その事態を見るにつけ、水と食料の

備蓄を少しふやしておくことに

しました。

 

「心配してないんだったら何も

備蓄を増やさなくてもいいのでは?」

と思われた方もいらっしゃるかと

思います。

しかし、心配するか否かと、

最悪を想定するかどうかは別の

問題であり、これは矛盾するものでは

ありません。

すなわち、心配するということは、

自分の中でのリスクを見積もることで

あり、実際のリスクの大きさとは

関係がないことです。

これに対し、最悪を想定するというのは

起こりうる事態の中で最悪をイメージ

して、それに合わせた行動を取るという

ことです。

 

私(荒木)には1つ、痛い思い出があり、

その反省の元に意思決定をしているという

ことがあります。

それというのは、2年前の北海道胆振

東部地震のときのことです。

9月に起こった地震でしたが、前月の

セミナーにおいて防災のための備蓄に

ついて話を聞いたばかりであったのに、

特に何も備蓄や装備を整えることも

なく、被災してしまいました。

特に水、電池、ラジオ辺りを用意して

いなかったことは大きく、

停電があと2、3日続いていたとしたら

どれほど不自由な生活になっていたか

想像がつきません。

当時は地方自治体からの援助もほとんど

なく、自分で乗り切らなければならない

ことを痛感しました。

 

今回の新型コロナウィルス対策においては

その反省を活かし、事がどのように

展開しても大丈夫なような体制を

作って行こうと考えています。

それこそが最悪を想定しての行動で

あるからです。

 

主観から一度切り離した形で、

最悪を想定し、

それに備えて行動する。

 

このことの大切さを実感する機会は

極めてまれでしょうが、常に意識して

おかなければならないことでしょう。