こんばんは、荒木でございます。
伊丹空港にいます。
これから札幌に帰ります。
さて、京都にしばらく滞在して
会食などをするとともに、
京都の歴史に触れてきました。
歴史的建造物などを見る意味
というものは人それぞれで
しょうが、私の場合は、
それが建設された背景や
いかに利用されてきたか、
なぜ現代にいたるまで
存続し続けてきたのか、等、
その歴史と意義について思いを
致すようにしています。
例えば、二条城などはまさしく
江戸幕府と朝廷との間の
かけはしとなっていた城であり、
幕府が作られたのも、
幕府が閉じられたのも、
この二条城が舞台となっている
ように、まさしく近代にいたる
礎を見届けた建物であると
いえるでしょう。
そして歴史的建造物というのは、
単に物体として存在するだけではなく
意味付けを与えられる存在である
ことも同時に指摘できます。
例えば、二条城というのは、
幕府からすると自己所有の城であった
わけですし、朝廷からすると
幕府との折衝の会議室や儀式の舞台
のような位置づけがあったのでしょう。
それも明治時代以降は、朝廷(明治政府)
の管轄の建物となったのであり、
その時点で意味付けが変わっています。
このことは人それぞれの歴史と
同じことが言えます。
一時点を捉えてであれば、自らが自らを
見つめて与える意味付けと、他者が
自らを見つめて与える意味付けとで
違いが生じます。
また、現在における自らの意味付けと、
過去や未来における自らの意味付けと
ではまた違いが生じます。
このように歴史をたどる意味というのは、
自己を見つめる視点としても応用が
可能といえる部分があります。
歴史に学ぶ、
という意味は、自らをいかに意味づけるか、
を考えるという意味においても大きい
ことなのではないでしょうか。