投稿日:2020年02月18日

【札幌 弁護士コラム】「時は金なり」「認知能力も金なり」の構図とは

こんばんは、荒木でございます。

 

今日は北海道M&A協会に某銀行の

方がご挨拶にいらっしゃった後、

弁護士会の倫理研修に参加し、

夜は大学のOB会でした。

まだ調整中ですが、一般の方を

交えて大学のOB会で大規模な

講演会を開催するかも知れません。

 

さて、「時は金なり」という言葉が

あります。

私独自の解釈かも知れませんが、

「時というのは極めて貴重なものであり、

換価性を有するものであるため、

金銭と同様に大切にしなければならない」

という格言であると理解しています。

確かに、時間があればアルバイトでも

なんでもして金銭に変えることが

可能になります。

 

しかし、経営者や管理者など、

いわゆる「現業」から一歩離れた人に

とっては、時間は単価を決められる

ものではなくなってきて、切り売り

できるものではなくなります。

それというのも、時間の価値を

理論上は無限に高めることができる

ため、金銭評価が不可能になって

くるからです(細かいところは

省いてごく簡単に言っています。)。

 

これと同様に、経営者や管理者などに

とってもう一つ大きなものが

「認知能力」

です。

あまり聞きなれないかもしれませんが、

認知能力とは、事物を主体的に認知する

能力をいい、1日(単位時間)あたりに

使える認知能力は限定されています。

認知能力を使い切ると、人は

ルーティーンで動くか、ぼーっとする

しかなくなります。

それであるがゆえに、主体的な行動を

行うためには認知能力は極めて貴重な

資源であるといえます。

 

そうすると、時間と認知能力は

いずれも貴重な存在であることで

共通項を持つことになります。

時間と認知能力が揃ってこそ、

新しいものの開発や仕組み作りに

労力を投下できるようになるので

あり、いずれかが欠けても

事は進みません。

 

その意味でいうと

「時は金なり」に対して、

「認知能力は金なり」ということも

妥当するように思われます。

 

それくらい認知能力は貴重な資源で

あり、無為に扱ってはなりません。

そのことを踏まえて認知能力を

尊重するような行動を心がけて

みてはどうでしょうか。