投稿日:2020年02月02日

【札幌 弁護士コラム】大学のOB会に見た「人生激流系」の人と「人生春うらら系」の人

こんばんは、荒木でございます。

 

札幌に帰ってきました。

今日は、博物館に行った後、

大学のゼミのOB会でした。

私のいたゼミのOBには弁護士が多く

さながら弁護士会の集まりのように

なっていました。

明日は事務所のミーティングからの

某地銀への表敬訪問、経産局への

訪問、書面提出複数とやはり

盛りだくさんです。

 

さて、今日のOB会でも思ったのは、

「人生の安定感について」です。

 

それというのも、本来的に人生には

色々なことがあり、いい時も

悪い時もあるのが当たり前です。

場合によっては、金が有り余ることも

あるでしょうし、はたまた食うや

食わずやといった状況に

追い込まれる可能性もあるわけです。

そのような前提に立てるかどうかで

人生観というものは大きく変わります。

 

今日のOB会の参加者でいうと、

大きく分けて、

「人生激流系」の人と、

「人生春うらら系」の人に

分けられるわけです。

前者の人は、小規模でやっている人、

転職を繰り返す人、自分のいた会社が

苦境に立たされたり、M&Aをしたり

しているような人です。

後者の人は、大きい会社や法律事務所に

勤め、同じ会社の人や同じような目線の

人としか会わず、大きな人事異動も

ないような人です。

このどちらのカテゴリに入るかで

ものの見方が大きく変わるわけです。

 

人は所詮は「立って半畳、寝て一畳」

というくらい小さい存在であって、

本来的には財産や生活基盤といった

ものはすぐにでも吹き飛ぶような

ものである、ということが大前提に

あるはずです。

それが地位を得て、資産を得て、

その状態が続くとどうも人生には

大波など来ないように感じられる

状態が訪れるようになります。

 

前者に立つのが「人生激流系」であり、

後者に立つのが「人生春うらら系」

というわけです。

どちらが正しいかと詰めるわけでは

ないですが、「人生激流系」の

捉え方をしている私としては、

「人生春うらら系」で過ごしていると、

何か事が起こった時の耐性が

脆弱であるという弱点を持つことに

なるのではないかと思います。

 

この根本的な考え方は、行動にも

端的に現れるものです。

今日のようなOB会に参加した時、

「人生激流系」の人であれば、
(一応、ビジネスに限定していうと)

「何か仕事に役立つことはないか。」

「何かお客さんに提案できるものはないか。」

「何か人につなげられる人はいないか。」

「何かアイデアやヒントはないか。」

というように、初めて会う人や、初めて

行った場から何かを得ようとします。

これに対し、「人生春うらら系」だと、

「名刺もらっても仕方ないし…。」

「今の仕事と関係ないし…。」

「もうそろそろ帰ろっかなぁ…。」

「あ、デザート食べよう!」(笑)

という具合になるわけです。

これは一部脚色が入っているものの、

ほぼ実際に私が経験したことです。

このような視点を持っていれば、

話してみると明らかにどちらの発想か、

手に取るようにわかってきます。

 

「世界観から処世訓が生まれる」

といいますが、まさしくそのような

事例が見て取れるわけです。

 

「人生激流系」と「人生春うらら系」、

みなさんはどちらがいいと

思いましたか?