投稿日:2020年01月31日

【札幌 弁護士コラム】荒木が「何かあったら頼むね!」と言われて傷付く理由とは

こんにちは、荒木でございます。

 

今日は朝から契約書のレビュー作業、

午後にご紹介頂いた会社経営者の方の

ご訪問を受け、夜は土屋HDの会食、

岡山と秋田からのお客様との会食

(ダブルヘッダー(笑))と盛り沢山

でございます。

 

さて、弁護士になってからというもの

もっとも多くといっていいほど

言われるのが

「何かあったら頼むね!」

という言葉です。

 

見方によっては頼りにされている、

と思われるかもしれませんが、実は

私はこの言葉にひっそりと

傷付いていたりします。

それというのも、私が価値提供できると

考えているものは

「いかに紛争を回避していくか」

という部分についてであり、

「紛争になってからいかに戦うか」

ではないからです。

 

このブログでも繰り返しお伝えして

きたことではありますが、

「争ったらその時点で既に負け」

という根本思想が広まるべきと

考えています。

それというのも、紛争は「処理」

されるだけの存在であり、「解決」

されることは皆無だからです。

 

訴訟の手続を例にとれば、

やっていることは過去の振り返り

作業に他なりません。

一応、和解によって将来的な部分も

定められることはありますが、

判決となれば過去の事実関係を

確定し、それを法律的に評価する

だけの無味乾燥な作業でしかないのが

実情です。

「何かあったら」それから何か

できるものではなく、無味乾燥な

判決をもらうという宿命を

辿るよりないのです。

 

そう考えてみると、

「何かあったら頼むね!」

→「何かあったら弁護士」

→「訴訟になったら弁護士」

→「無味乾燥な紛争処理は弁護士」

→「弁護士は無味乾燥なことしかできない」

と脳内変換されてしまうわけです。

それであるがゆえに

「弁護士ってその程度のものなのか…。」

と傷付き、肩を落としているわけです。

 

だからこそ私は予防法務の必要性、

重要性を訴えているわけで、弁護士の

本当の価値はそのにあることを

ご理解いただきたいと吹いて

回っています。

弁護士が普段使いできないようであれば、

紛争予防はままならないわけであり、

普段使いするために一番いいのが

顧問契約をする、ということになります。

 

私が「何かあったら頼むね!」と

言われる度に「何もなくても使ってね!」と

返すのはこのような意味があったのです。

普段使いしたい、とお考えになって頂いた

ようでしたら、下記のご案内もチェックして

見て下さいませ。

 

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