木曜日からお世話になっている方の誕生会、M&A関係の打合せ、法律相談、定例セミナーなどのために東京に来ており、今日はこれから同期の結婚式の余興の準備(笑)です。
さて、上記の「同期」とは私(荒木)が弁護士になって最初に入った事務所の同期のことを指しています
その事務所というのが弁護士業界ではいわゆる「四大事務所」といわれていた大手の事務所です(現在では「五大事務所」という言い方のほうがポピュラーになっているようですが。)。
四大事務所に入るのはなかなかに狭き門とされており、出身ロースクール、ロースクールでの成績、年齢、合格までの司法試験の受験回数など、かなりの条件が求められます。
私はロースクールでの成績がそこそこ良かったりしたので、何とか採用してもらえたのですが、そこからが苦難の始まりでした(汗)。
元々、四大事務所は基本的に大企業の案件を受けるため業務量が多く、かつ高度な知識が要求されるようなところで、必然的に帰るのが深夜になるのが当たり前。
そして同期も当然に優秀な人たちばかりですので、人事評価も相当に厳しいような環境でした。
そんな中、ロースクール卒業まではそこそこのスペックだと思われていた私ですが、事務所に入ると、コミュニケーション能力なさ、気力のなさを遺憾なく発揮し、坂を転がり落ちるように評価が下がっていったのでした(笑)。
挙句、
深夜に小一時間、こんこんと説教される、
などという憂き目に遭う日々を送る羽目になったのでした(涙)。
そんなわけでその事務所では「使えないヤツ」レッテルを貼られていたわけなのですが、
肚の中では、
「こんなはずじゃない!」、
「今に見てろよ!!」、
「○×△□ftgyふじこlp;@!!!」(自主規制)、
といったように忸怩たる思いとともに、反骨精神は失っていなかったわけです。
そんなことで札幌の事務所に転職したわけですが、この思いが間違いなく駆動力となりました。
札幌の事務所では離婚や、交通事故、債務整理といった一般民事が主になったのですが、言ってしまえばこのような領域は実務書がたくさんあるため、多少勉強すればすぐに実務ができるようになるものです。
私は、それまでまるで一般民事業務に触れて来なかったのですが、最短距離で実務能力を身に付けていき、合わせて特に地縁血縁もなかった札幌でも次々に個人案件を取っていくに至りました。
その結果、四大事務所の給料は日本最高水準でしたが、札幌に移った後も個人案件を含めると特に減収することもなく、順調に独立まで至ることができました。
この経歴について何が言いたいのかということですが、私の実務能力が高かったということではありません(むしろそれは初っ端に全否定されています(汗)。)。
四大事務所で落ちこぼれていたことにより、
「こんなはずじゃない!」、
「今に見てろよ!!」、
「○×△□ftgyふじこlp;@!!!」(自主規制)、
という強い思いを駆動力に変えられたことが行動を生み、道半ばではあるものの今の事務所経営に至るまでの原動力となっているということです。
現状に不満を持ち、憤っているような方も多くいらっしゃることと思いますが、思いを駆動力に変えることが行動を生み出すことにつながるのは間違いありません。
現実を悲観せず、肯定的にとらえることによって、未来を切り開くエネルギーを生み出すことは誰しもが可能なことではないでしょうか。