投稿日:2019年07月24日

【札幌 弁護士コラム】感情か理論かという究極的な問題

東京から新千歳空港を経由して帰る途中の電車です。

今日は夜まで東京の予定でしたが、夕方からとある有名な評論家の方との面会の機会を頂きましたので予定を早めて帰札しています。

 

さて、このところ騒がれている吉本興業の問題。

「直営業が契約上許されるか」とか、

「書面によらない契約が妥当なのか」とか、

「契約解除が有効か」とか、

「会社が芸人をどこまで拘束できるのか」とか、

「反社会的勢力はどうやって見分けるのか」とか、

法律家らしいことも書こうかと思ったのですが、どうも興味が湧かなかったので(笑)、全然違うことを書きます。

 

今回の問題では涙ながらに語る芸人を見て「可哀そうだ」「吉本がひどい」という意見が多くを占める中、「反社会的勢力と取引した以上は一定の制裁も当然だ」という意見もあります。

これは、映像を見た印象としての感情論と、経緯を踏まえた中での判断としての理論的見解との対立であるといえます。

世の問題というものを捉えたとき、一定数の問題はこの対立にあるといっていいかと思います。

 

では感情論と論理的見解のいずれを優先するべきか、というと簡単に帰結が出るものではありません。

真正面から議論をしようとなると、当然、論理的見解のほうが勝つことになるわけですが、で世の中全てが論理的見解によって成り立っているかというとそうではない側面もあります。

 

例えば、ビジネスにおいて外注先を選ぶのに価格や品質だけで選ぶかというとそうではなく、これまでの交友関係を考慮したり、社長の人柄を考慮したりするといったことはごく自然に行われています。

個人の生活においてはより顕著であり、好き嫌いで付き合う人を選んだり、みんなが買っているものを買うという購買現象が起こったりします。

 

こうして見てみると、真正面からぶつかると論理的見解が勝つものの、何も対立がない状態であれば感情論が人の行動原理になっていることがわかります。

論理を優先することはある意味においては正しいのですが、人は感情に動かされていることを理解しておかなければなりません。

特に頭脳労働者にありがちなバグであり、論理的な結論のみを素人の人にぶつけて軋轢を生むということは多々起こっています。

 

感情論と論理的見解のいずれを優先して物事を捉えるか。

この問題に処するにあたっては高度なバランス感覚が求められるといえるのではないでしょうか。