投稿日:2019年07月19日

【札幌 弁護士コラム】「変な人」の優位性とは

昨日は、東京の知人の方が事務所を訪問してくださいました。

お互いの事業の話をするなど、情報交換をさせていただき、盛り上がりました。

 

その中で、私(荒木)が他の弁護士とちょっと違ったような業務を行っているような話をしたところ、大変に賞賛してくださいました。

そこでしたお話というのが、このブログでも散々書いてきましたように、紛争処理に重きをおかない、予防法務も重視する、事業や人生の全体最適を図る提案をする、といったような方針のことです。

業界的に見れば「変な事」をやっていることになるのかも知れません。

 

私としては、このような方針で業務を行うことがベストだと思ってやっているのですが、多くの弁護士はこれとは違った発想で業務を行っていることが通常のようです。

私はあえて外れたやり方をやろうとしているのではなく、私の考える本質論から導かれるやり方に従っていれば結果的にこうなったというわけです。

 

そのようなことで日々活動しているわけですが、そうしているうちに周りにいる人が、「変な人」ばかりになってきています(苦笑)。

例えば、税理士っぽくない税理士、司法書士っぽくない司法書士、行政書士っぽくない行政書士など、簡単にいうと業界的には変わった人ばかりになってきました。

これは士業に限らず、経営者の中でも尖ったことをやっている人ばかり、という傾向も見受けられます。

 

次にこのように「変な事」をやっていることが良いかどうかということを考えなければなりません。

「変な事」の反対が何かというと、例えば業界慣行に従う、ルーティンに従う、常識に従う、といったことになろうかと思います。

このような反対の行動をとるとどうかというと、これまで他の人が開拓してきた道をなぞるに過ぎないため、ある意味で頭を使わなくとも業務の遂行ができるようになります。

このように業務を進める事は、ある意味で大変な楽をしていることを意味します。

 

一方で、「変な事」をする、ということは新しい道を切り開き、0から1を生み出すようなことであるといえます。

このような動きをする事は、精神的にも肉体的にも大きな負荷がかかり、創作性を持った動きをしなければことを成し遂げることはできません。

「変な人」というのは、日々このような創作的、創造的な動きを行っているのです。

これが積み重なってくると、思考のパターンに大きな差が生まれてきます。

その思考のパターンが乖離してくると、そのような思考のグループとは距離を置き、自然と同じパターンを持つ集団と結びつきたくなる傾向が強まっています。

 

そのような理由から私の周りには「変な人」が多く集まる(笑)傾向が強くなっているのではなかろうかと思います。

 

全員が全員、「変な人」を目指すべきかという議論はおくとしても、そのような背景構造が存在することは念頭についておいても良いのではないでしょうか。