投稿日:2019年04月02日

【札幌 弁護士コラム】成長とは問い続けること

今日は、ほぼ1日、作業進められる日になりました。

直近に迫っているセミナーの準備、準備書面の準備、その他新件の対応などなかなかやることが盛りだくさんとなっていました。

 

さて、人間の成長とは非常に難しいものであり、コントロールが困難なものであるとの認識を新たにしています。

それというのも、人の成長というのは必ずしも客観的に明らかでなく、かつ、自分自身でも十分に認識していない場合もあるからです。

 

そして、自らが成長するために何が必要かということについても一義的ではありません。

例えば、スポーツの世界において言えば、上達すること、すなわち試合で結果を残すことというゴールが明確であったとしても、そこに至るトレーニング方法等といったものは数限りなく存在すると言われています。

そういったことは、ビジネスの世界や、日常生活をいかにうまくやりくりするか、といった生活の知恵にも共通項があるように思います。

 

その上で考えなければならないのが、物事のそもそも論ではないかと思います。

例えば、お金がないということが課題の場合、なぜお金が必要か、ということをそもそも問う必要があります。

進学のための学費が必要であるという場合、そもそも進学する必要がどこにあるのかを問う必要がありますし、リスク回避のために余裕資金が必要であるという場合に、そもそもどのようなリスクがあり、リスクが顕在化した場合にどの程度の費用が必要となるのかを問う必要があります。

 

こういったお金の話は比較的わかりやすいのではないかと思いますが、明確な判断基準が存在しないような事柄の場合には必ずしも容易ではありません。

例えば、仕事の質を上げる、といったような場合、そもそも仕事とは何なのか、仕事を価値提供の場と位置づけるのであるならば、価値提供とは何か、顧客は誰か、といったようなことも問わなければなりません。

そうやって見てくると、問いは新たな問いを生むものであり、永遠に明確な答えが出るようなものではありません。

しかし、明確な答えが出ないからといって、問いを放棄してしまっては成長の機会は生まれなくなります。

なぜならば、問いを立て、自らを問い続けることこそが本質的な変化・変容の種になっているからです。

 

こうやって見てみると、自らを成長させるという観点からは、安易に答えを導くことは実は非常に大きな問題であり、答えなき答えに向かって自らを問い続けることこそが非常に重要なことではないかと考えられるわけです。

新年度を迎え、新元号も発表されたことですが、新たな年度、新たな元号の下でそのような姿勢を持ち続けていけば、必ずやどこかのタイミングで思うような結果が生まれるのではないでしょうか。