先日、浅間大滝に滝を取りに(入りに)行きました。
なんでそんなところにと思われるかもしれませんが、ひょんなご縁で昨年、夕日の滝に滝行に行ったところ、そこで滝行の指導をされている方と知り合いました。
足柄修験の会というところなのですが、年に1度、浅間大滝を取っているとのことで、特別にご一緒させて頂きました。
浅間大滝は、-3℃でかつ風が強かったため、厳しいものでしたが、貴重な経験になりました。
しかし、それとともに代表者の方のお話を伺いたことが大変貴重だったと思います。
お話を聞くと、その代表者の方は中国やインドで長年修行を積み、あるお寺に所属されていたそうです。
そのお寺で一般の方に有料で滝行を修行体験として指導し始めたそうです。
その代表者の方は、そこで何年か滝行を指導していたということですが、15年位前に方向性の違いから独立することを考え、独自に滝行を指導するようになり、それをなりわいにするようになられたとのことです。
10数年前には、滝行という言葉は普及しているものではなく、その代表者の方は滝行の草分け的存在であったということです。
もちろんそのような新しいものですので、ご苦労も多かったとのことであり、今でもそうだとおっしゃっていますが、夏場は遊び半分で来られる方ばかり、冬場は肝試しのような感覚で来られる方ばかり、というようなお悩みが大きかったそうです。
そのような中でなぜ続けてこられたかというと、本当に家庭事情や健康問題などで苦しんでおられる方が来られ、奇跡的にその環境や健康問題が解決することがあり大変な感謝をされることがあるからだそうです。
この辺は少しスピリチュアルな話にはなりますが、滝行が人の心に影響するのは間違いなく、その心が健康や周りの環境に影響するということをメカニズムとしていると考えるのは無理なことではないと思われます。
そのように見てくると滝行業が特殊な事業であるわけではなく、一般の事業と何ら変わりない悩みというものがあることとがわかるわかります。
そのような中でこの方が仰っていたところで大変印象に残った残ったことがあります。
それは本当に困ってしまった時、最大の解決法は
「何も考えないようにする。」
ということを仰っていたことです。
これは責任を放棄したように聞こえるかもしれません。
しかし本当の意味での解決は、人為的なものでなされるものではなく、何らかの流れや運命、あらがえない何かの力というものに起因している、ということを述べているのではないかと思います。
また一方で、問題を解決するという考え方は本来的に外部環境の問題ではなく、自分の内面の捉え方であると考えることで、問題の本質的な部分を変えることも可能である、と捉えることもできます。
このような意味で滝行業という業種は誰よりも悩みに関して向き合っている職業なのかもしれません。