昨日は妻の友人でテレビ局でディレクターをされている女性とその彼氏を自宅にお招きして会食をしていました。
この女性というのが妻も絶賛しているとおりの才女で、バリバリと仕事をしている人なのです(あ、もちろん彼氏も立派な方でしたが。)。
「私、仕事が楽しくて仕方ないんですよね。」(←言ってみたい!)
「私、放っておくとすぐに自分で企画を立てちゃうんですよね。」(←言ってみたい!!)
「私、自分で意識してセーブしないと休みがなくなっちゃうんですよね。」(←言ってみたい!!!)
といったように仕事が好きで好きでたまらず、もちろん当然のように結果も残しているわけです。
なぜここまでデキる人になったかというのを根掘り葉掘り訊いてみたのですが、育った環境や親御さんの教育が素晴らしかったようです。
「勉強しろ」などとうるさく言われず、やりたいことはやらせてもらえて、その一方で自分で責任を取ることをきちんと教えられてきたのだそうです。
自然と話している内容も、要約すると「他責よりも自責」、「1人でやるよりも他者を含めて渦を巻く」、「動いてから考える、動けば見えてくる」、「即断即決即行」といったような、まさしく成功哲学そのもの。
「それって俺が何百万も出して、何年もセミナーに通ってやっとわかり始めたような話なんですけど(泣)。」と言いたくなりました。
このような成功哲学を自然と身に付けている、まさに「天賦の才」といったようなものを持っている人は奇跡的な存在です。
しかし、「天賦の才」がなければ成功を諦めてしまわなければというとそうではありません。
後天的にであっても修行、鍛錬、努力によって誰しもが成功するための方法というものを身に付けることはできます。
むしろ「大器晩成」であったり、「苦労は買ってでもしろ」であったり、「末ついに海となるべき山水もしばし木の葉の下くぐるなり。」であったり、「天賦の才」がないことをある意味で肯定する言葉は数多く存在します。
「天賦の才」がないからこその成功の喜びがあると考えれば、修行、鍛錬、努力も楽しいものと思えるのではないでしょうか。