投稿日:2019年01月20日

【札幌 弁護士コラム】人生の出発点は何者たらんかによる

昨日は恒例の年間プログラムに参加してきました。
同じ受講者の方の中で連帯感が芽生えてきており、いい雰囲気が出来上がっています。

さて、その中で昨日、特に学んだことは「大きな決断」と「小さな決断」です。
「大きな決断」とは人生の大目標を決めるといった大枠を作り出すことを指し、「小さな決断」とは大きな決断を実行するために必要な日々の改善を行うことを指します(若干、意訳しています。)。

この概念は非常に重要であり、自らが何者たらんとするかが定まっていなければ、どこに向かって努力や改善を行っていけばいいのかが定まらないことになります。
しかし、この重要性は当然という人にとっては当然ですが、知らない、考えたこともないという人も相当に多くいます。

大きな決断の重要性を認識できない原因は、人から与えられた狭い世界観によって視野の範囲が既定されてしまっており、その世界観の中をぐるぐると回っているだけなので、特に現状に疑問を持たないようなところに端を発し停るのではないかと思います。
いわゆる「田舎根性」といったものもそうですし、「弁護士村」と呼ばれるような弁護士会のようなコミュニティーについてもその一例として挙げられるかと思います。
もちろん、田舎に住んでいようと、弁護士村に住んでいようと、本人が満足する人生であるのであれば他人がケチをつけるような話ではありませんが、何らかの不満を持っているのであれば、狭い世界で生きているために大きな決断ができていないというところに目を向けるべきではないでしょうか、という話です。
換言すれば、アインシュタインが「問題は、問題が起こったレベルと同じレベルで解決できない。」と述べていたように、田舎を出たり、弁護士村を出たり(?)しなければ田舎や弁護士村にいる限りは解決できない問題もあるということです。

そして、自分が大きな決断を行い、何者たらんとするかを決めたときが初めて自分の満足のいく人生の始まりとなるのです。
当然、大きな決断を行っただけでは、即満足のいく人生が約束されているわけではありません。
そこから山あり谷ありの状況が起こりますし、やってもやっても成果の出ない状況というのも発生します。
そのような障壁にぶつかる度に小さな決断を行って改善を図り、乗り越えていかなければなりません。
このような構造が存在します。

これに対して、全くの私見なのかも知れませんが、現代社会はどうも小さな決断による結果ばかりが強調され、「日本一になる!」とか、「世界を変える!」といったような大きな決断が軽視されているように思われてなりません。
大志であったり、あるいはもしかすると野望であってもいいのかも知れませんが、要は大きいことを公言するということがあまり重視されていないのではないかと思います。

閉塞感、マンネリ感、不充足感などを抱えている方は、もう一度「何者たらんか」ということを考え直してみてもいいのではないでしょうか。