投稿日:2019年01月06日

【札幌 弁護士コラム】月光仮面はなぜ仮面を着けているのか?:弁護士における正義観とは

昨日audibleというAmazonが運営するアプリをダウンロードしました。

 

こちらのアプリは、文学作品を中心に、作品を朗読したものを販売する専門サイトからダウンロードしたデータを再生できるアプリです。

 

<audibleサイト>

https://www.audible.co.jp/?ref=a_pd_E38393_t1&pf_rd_p=9b366fa8-44c4-4d2b-ad87-8c9746874a2a&pf_rd_r=3RFHADASSHEY3KC53F5V&

 

私(荒木)は、これまでもオーディオ学習を行っていましたが、CDで購入してそれをiPhoneに移行するなどの手間がかかっていました。

 

こちらのアプリを利用することによってその手間がなくなり利便性が向上しました。

 

アップルストアのダウンロード数を見てみると、kindleが10万件以上ダウンロードされているのに対し、こちらのAudibleはまだ1万件超と、これからダウンロード数が増えてくるのかもしれません。

 

オーディオ学習を行っていらっしゃる方にはお勧めしたいアプリかと思います。

 

さて、そんな中でaudibleで最初にダウンロードしたのが寺山修司の『書捨てよ町へ出よう』です。

 

寺山修司の作品は初めて読んだ(聞いた)のですが、日常のくだらないことを極めて巧みに、かつ読み手の感情に直接的に伝わるような表現がなされており、文章表現に関する才能を強く感じる作品だと思いました(繰り返し言いますが、話の内容自体はかなり下劣なものも多く含まれていますので閲覧注意です。)。

 

そのような中で、心に刺さった話がありありました。

 

それは正義について述べられた一節のことです。

 

月光仮面はなぜマスクをかぶっているのか、ということに疑問を呈する場面です。

 

戦前のヒーローは誰もマスクなどかぶっていなかったにもかかわらず、戦後のヒーローにはマスクをかぶっている者が少なからずいるといいいます。

 

この指摘の背景としては、正義は誰が作るのかという命題が挙げられています。

 

すなわち大別していうに、人が作った正義に乗っかるのか、それとも自ら正義を定義しようかするのかという2つの正義観があると語られています。

 

ここではその内容については詳しくは述べませんが、このような2つの正義観というものは弁護士業務にも深く通底するものであるといえます。

 

すなわち、法律や判例、通説に基づいた事実の解釈を行うのが既存の正義観に基づいた弁護士業務を旨とするのか、そうではなく依頼者の希望や志向に基づいて論を組み立てていく弁護士業務を旨とするのかという違いが生じます。

 

ここで考えるべきなのは、前者の正義観に従って事を進めると、既存の枠内での作業にとどまり、ややもすると何ら価値を提供していないということになりかねず、しかしながら後者の正義観のみに基づいて事を進めるとすれば、結果的には既存の正義観に圧倒され、得たい結果を得られないことが極めて多いことです。

 

そのような中で弁護士としていかなる正義観を追い求めていくのか、そのような軸を持たなければならないと思います。

 

既存の正義観を理解する事はもちろんのことですが、プロフェッショナルとしての弁護士は、自らの正義観を何らかの形で示す術を持たなければならないという側面も否定できないのではないでしょうか。