投稿日:2019年01月02日

【札幌 弁護士コラム】目標の高さと知識の裾野の関係:目標があれば雑学が雑学ではなくなるメカニズムとは

帰省先から空港に向かう電車の中で記事を書いています。

地元では半年に1回しか会わない旧友と会い、旧交を温めてきました。

さて、今年の目標を設定している中で、特に最近思うようになってきたのは「知識人、文化人、教養人」になりたいな、ということです。

もちろん私(荒木)の(現在の)本業は弁護士業ですので、弁護士業にかかわる知識や能力を身に付けることが第一優先であることは自覚しています。

しかし、それだけではよろしくない、ということを強く思うようになってきました。

それというのも目標を高く設定すれば、自然とその目標に紐づいた知識等の裾野は広くならざるを得ないからであると考えられます。

例えば目標設定が「弁護士の平均的な生活をしたい」といったようなレベルであれば、それこそ弁護士業に直接的にかかわる知識等を身に付けるだけで足ります。

しかし、私が目標としているところは(ここでは詳しくは述べませんが)弁護士としての枠組みを超えたところにあり、そこに到達するためには弁護士業に必要なものだけを身に付けていたのでは到底及びません。

一例でいえば、「一流の文化人と交わる」ということを目標にしていて、自分が文化的な素養が全くない状態で会えるはずがありません。

このような場合には、必然的に文化的素養を事前に身に付けておくことが必要となってきます。

これを抽象化していうなれば、「目標の高さとその裾野の広さは比例させなければならない」ということです。

このことからすると、目標を高く設定している人にとっては、本業とまるで関係がなさそうと思える知識等まで関連性を持ちうるのであり、単なる「雑学」ではなく、「必要知識」として知識等を吸収しているという事実があります。

反対に、目標が低く、現状維持だけできていれば構わないという人にとっては、世の中の多くの事象が単なる「雑学」として扱われることになります。

このような原理を理解し、目標を高く設定したならば、自分と関係ないと思える知識というものがどんどん減ってきて、知識の有効活用が進んでくるのではないでしょうか。