新年明けましておめでとうございます。
本年もブログにお付き合い頂ければ幸いです。
さて、新年というと新しい目標を掲げたり、新しい決意をしたりすることも多いものと思います。
かく言う私(荒木)もいくつか(というより何十も)目標を立てて、取り組みを開始しました。
目標というと小さいころから当たり前のように語られてきたものであり、またお勤めの方にとってはもしかすると会社(上司)から降ってくるに過ぎないものというイメージがあるかもしれません。
しかし、目標についての正確な認識がなければ、折角立てた目標も効果が半減するどころか、まるで意味をなさないものになってしまいます。
私は、目標設定というものが実はそれほど簡単なものではなく、きちんとした目標が立てられるには学びと実践を繰り返し、数年といった年月を要するものではないかと考えています。
そんなわけで私も目標設定のプロ(?)というわけではありませんが、やってしまいがちないくつかの誤った典型例がありますのでご紹介したいと思います。
まず、目標の中に「must」や「should」が混ざってしまうという誤りです。
もちろん日常を生きていくためには、仕事を「しなければならない」ですし、健康を維持するためには適度な運動を「したほうがいい」といったことは否めません。
しかし、目標を設定するにあたって、このような「must」や「should」が入っていて、気持ちが盛り上がるのでしょうか。
また、これらが本当に最終的な目標といえるのでしょうか。
よくよく考えてみると「must」や「should」は最終的な目標を達成するために手段にすぎないはずであり、「must」や「should」を目標と取り違えてしまうというのは実は最終的な目標を見据えていないのではないかと考えられます。
目標設定とは本来、最終的な目標を見定めることから始まるはずです。
次に、目標を定量的なものだけに絞ってしまうことです。
定量的とは、数値などの明確な概念で言い表せるものをいい、それの対義語は定性的という言葉になります。
よく「年収1000万円を稼ぎたい」とか、「資産5億円ほしい」といったような目標をききます。
これはこれで否定されるべきものではないかもしれませんが、単に数値的なものだけだと数値に対する意味付けというものが存在しません。
意味付けが存在しないということは、自らの感情と結びついておらず、そこに向かっていこうという気持ちが湧いてこないことになります。
よく聞く話ですが「宝くじの高額当選者で幸せになった人はいない」ということと似ています(いらっしゃったらすみません。汗)。
すなわち意味付けのない定量的なものだけでは、幸福感や充実感といったものは十分に満足されないということです。
さらに、ふわっとした目標だけで具体的な行動に結びつけられていない場合というのがあります。
前述のものと矛盾しているようにも思われるかもしれませんが、ふわっとした目標だけではやはりそれを達成しようという意思決定ができません。
もちろん最上位の目標というとある程度抽象的にならざるを得ないのですが、その下位の目標を設定しない場合の問題とあまりにも抽象的過ぎて目標として成立しないという問題があります。
前者は、例えば「金持ちになりたい」という最上位の目標を設定していても、年収がいくらで、どのように利殖を図り、いつまでにいくらを所持したいのか、といったところについて全く思いを致さないようなものです。
後者は、例えば「雲の上のような人になりたい」といったような目標を掲げたとして、目標を掲げた人ですら単なるイメージに過ぎないような場合です。
そのように具体的な行動に結びつけられていないものは、目標に向かって能動的に動くための指針にならず、何かしらの幸運が降ってこない限りは実現しないものです。
以上のように、目標設定にも色々なバグが潜んでいるものです。
みなさまにおかれましては、正しい目標設定をされ、充実した1年とされることをご祈念申し上げます。